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「太田課長」
「こんなところにいたのか。君宛の電話が入っていたからメモしてある。あとで折り返しなさい」
「すみません、すぐ戻ります」
太田は望月と話しながら、大橋よりもほんの数センチ低いくらいの高さから、ちらちらと横目でこちらを見ている。銀のフレームでかっちりとした印象の眼鏡の奥は、切れ長の吊目が生真面目さを際立たせていて、冗談も通じず、隙がなさそうなイメージを受ける。
「大橋、君は先週の交通費申請がまだ出ていないな」
「あ、すみません。戻ったらすぐやります」
「新人じゃあるまいし、以前から金曜日に出すものだと決まっているだろう。君はいつも出し忘れる」
「……気を付けます」
もとから大橋は、太田のことは苦手だった。事務作業があまり得意じゃない自分が悪いのだが、ひとつの間違いをこうしてネチネチと注意してくる。太田は記憶力がロボット並に良くて、全社員の昔の悪事まで覚えているのか、よく蒸し返してくるのだ。
「大橋くん、書き方わからないなら教えるよ」
「ああ、ありがと。わかんないとこあったら聞くから」
「望月、ずいぶん大橋と仲が良さそうだな」
「ええ、僕と大橋は同期入社なのです」
聞きながらも太田は大橋に向かって鋭いまなざしを送る。まるで子供を守る保護者のような、いや、それよりもっと厳しいような。
「まぁいい。望月、戻るぞ」
「あ、はい。大橋くん、じゃあまた」
「おう、またな」
望月に向かって軽く手をあげたが、その大橋を太田はじっと見ていた。そして大橋が見ている前で、望月の腰にやんわりと手を回し、まるで一刻も早く連れて帰りたいという様子だった。ただの上司と部下にしてはその距離は近すぎる気がした。
「おーおー、もう太田課長に目をつけられたか」
「もう、ってなんだよ」
やりとりを見ていたのか、小島がにやにやしながら、大橋に近づいてくる。
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