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 一ノ瀬はA代表に選ばれ、レギュラーに定着し始めた。順調なステップアップとは裏腹に、なぜかパフォーマンスは落ちていく一方だった。  クラブでのプレーも精細を欠き、持ち味の前から奪うプレーが消えた。それに伴いチームは自陣へ押し込まれる時間が増え、DFラインがずるずると下がる。メディアは日の丸のプレッシャーだと決めつけ、資質にすら疑問を投げかる記事が蔓延した。  それは違う。今は待つ守備を会得するためにもがいている。俺はそう思っていた。  この頃から一ノ瀬は神社へお参りを始めた。神頼みをするほど切羽詰まっているのだと思っていた。それも違った。  おばあちゃんが入院していた。クラブは公にはしない方針を取った。一ノ瀬が望んでいた。それを昭三さんよりも先に知ることが出来たのは、練習場に毎日足を運び、挨拶を継続し続けた成果だった。  1ヶ月が過ぎてもプレーに改善が見らず、監督が見舞いに行けと言っても一ノ瀬は、断固として受け入れなかった。オリンピックまで2年を切る大事な時期に行けば、おばあちゃんは責任を感じるからだと言った。だけど、その翌日におばあちゃんが亡くなった。  一ノ瀬は両親を火事で失い、2つ上の姉と共に、おばあちゃんの交通整理のアルバイトで育てられた。  小学生時代は冬でも半袖半ズボンで過ごし、姉の服はご近所からの貰い物、すべては2ヶ月もすれば履き潰してしまう一ノ瀬のスパイクを新調するためだった。  一ノ瀬は、おばあちゃんと姉の思い遣りに支えられ、幼い頃からサッカーで成功するという使命を背負って生きてきた。  このエピソードは、プロになる前の16歳時に一度だけ、次世代を担う選手として特集された記事で語っていた。今ではその話題はタブーになっている。俺が知ったのはつい最近、練習場で一ノ瀬をカメラで撮っている時、コーチに写真を控えるよう丁寧に求められ、その理由としておばあちゃんの死と共に伝えられた。  一向に調子が上がらない一ノ瀬に、監督が休むことを求めた。「大丈夫です」って笑顔で断わり、心配を打ち消すように、練習ではより大きな声を出していた。  他のチームなら控えに回して強制的に休ませることも出来たけど、DFに怪我人が続出し、降格圏一歩手前の19位の現状では、一ノ瀬の復調に期待するしかなかった。  そんな中での公式戦、相手は降格圏内の20位のチームだった。負ければ順位が入れ代わる大一番、そんな窮地で一ノ瀬のプレーは安定した。  待つ守備をみかぎって、リスクのある奪う守備に徹した。仮りに自分が空けたスペースを使われても、J2レベルでは失点に繋がらなかった。たとえ勝利に繋がっても、一ノ瀬に笑顔はなかった。    オリンピック世代の親善試合に選ばれた。海外組も揃えた初のベストメンバーで、初めての日本開催、相手はアルゼンチンのベストに近い相手だった。  スコアは2対1で日本の勝利。興行的にも成功し、メディアはお祝いムード。そんな中で一ノ瀬は唯一の失点に絡んでいた。  奪いに行ったプレーで、自分が開けたスペースを使われた。それでもメディアは批判しなかった。  セットプレーからヘディングで一ノ瀬がゴールを奪ったシーンが何度も流されている。お祭りムードに水をさすつもりはないらしかった。だけど、トップレベルが相手では、現状の守備では通用しないことが証明された。  そんな一ノ瀬は、練習になれば明るかった。色んな選手と話していた。それはキャプテンとしての役割だった。オリンピックへ向けて、引っ張る経験の為にクラブが指名した。自分が失点に絡んでいても仲間に厳しい要求もしなければならない。一ノ瀬はどんな苦境でも下を向いてはいけない立場だった。  降格圏内の20位へ落ちてしまった上での試合直前に、一ノ瀬から声を掛けられた。 「良い写真撮ってください。良いプレーしますから」  今日はリーグ首位の相手、引き分けられたら御の字と言えた。つまり勝つ見込みが限りなく低い試合に、俺は無意識に下を向いていた。そんな俺にまで一ノ瀬は気を回していた。  夏になり、移籍市場が解禁され、一ノ瀬が目標とした岩下が移籍してきた。  センターバックでコンビを組むことになり、一ノ瀬が判断を間違えた時には必ず声を掛けてくれた。突っ込むだけの守備から解放され、変化の兆しを感じた。しかし、ここからが苦しかったし、長かった。  やるべきことはわかっているのに、ピッチで役割をこなせない。岩下によって守備か安定し、失点のパターンは限られた。その多くが一ノ瀬の判断ミスで使われたスペースだった。  対戦相手は明らかに狙っている。シーズンが半分終わり、夏の中断期間で連携に精度を上げていた。公開処刑のようで、観ているこっちの胸が苦しかった。  シーズン最終節を迎えた。  チームは岩下によって、引き分けで手堅く勝ち点を積み重ね、ここで負けても降格はない。俺はと言えば、撮りたい写真が一枚も撮れていなかった。一ノ瀬は、この試合を最後に海外への移籍を決めている。  今日がラストチャンスだった。 「良い写真撮ってください。良いプレーしますから」  試合直前に一ノ瀬が俺に宣言していった。その姿は自分自身を追い込んでいるように見えた。  ここまでA代表とオリンピック代表に選ばれ、度々チームを抜けたことで、待つ守備に対する連携が深まらなかった。それでも練習では成果が出ていた。あとは試合で発揮するだけ、相手も降格が決まったチームでレベル差もなく、条件としては難しくはない。練習通りに出来れば問題ないのに、俺の手は汗で濡れていた。  試合が始まり、400ミリのレンズを構えた。狙った瞬間を逃すわけにはいかない。  多くのカメラマンは敵陣のゴール裏に着いた。得点力のある一ノ瀬のゴールを期待していた。俺は自陣のゴール裏から一ノ瀬を狙う。待つ守備を撮るためだ。  試合の経過が恐ろしく早く感じる。一方的に攻める時間が続き、相手陣内に押し込み続け、ゴールが決まった。一ノ瀬のヘディングだった。  一ノ瀬の表情を求めてカメラマンが一斉にシャッターを押した。俺は押さなかった。あの瞬間だけしか押さないと決めていた。  前半が終わり、スコアは1対0。一ノ瀬のゴールが相手の攻め気を引き出すきっかけになり、後半立ち上がりからFWを変えてきた。裏への飛び出しが得意な選手、待つ守備が発揮されるシチュエーションになった。  その時は訪れた。俺はシャッターを押した。飢餓から解放されたように息を吐きだし、達成感に指先が震えた。拳を硬く握りしめ、シャッターから指先を離し、余韻に浸っていると突然、会場の歓声がため息に変わった。  失点していた。  原因は一ノ瀬の表情を見ればわかった。一つのミスで勝敗に繋がるDFは、失点を0で押さえきって初めて完結する。試合は1対1で終わり、ピッチの一ノ瀬にレンズを向けると視線が重なった。  シャッターを押せなかった。  一ノ瀬はサポーターに別れ告げるためにゴール裏へ向かう。俺の目の前を通り過ぎるその瞬間、 「すいませんでした」  一ノ瀬は俺の狙いを知っていたのだ。きっと、昭三さんに聞いたのだろう。  涙が止まらなかった。                  おわり
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