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ファインダーに写る光景が信じられなかった。会社員なら管理職に就いていておかしくない大人たちが泣く姿が写っている。
彼らは赤一色に統一されたレプリカユニフォームを着て、2月の寒さを堪える猿たちのようにゴール裏に固まって歓喜に奮えていた。もしこれがJ1への昇格を決める勝利なら理解できたけど、J2開幕戦の勝利が3万人収容可能なスタジアムに駆けつけた、1500人のサポーターの心を揺さぶったらしかった。
俺はJ2クラブのギメス青梅のオフィシャルカメラマンとして、ピッチと客席の間の陸上トラックから、宇宙でも覗けそうな400ミリレンズを向けていた。ピッチにレンズを向けると、選手たちは抱き合って喜んでいる。まだ41試合残っている中でのたかだが1勝でしかないと思う俺が、この空間では異質だった。
俺はこのクラブに愛着はない。そもそもサッカー自体に興味がない。もっと言ってしまえば、カメラマンという仕事自体に魅力を感じていなかった。
昨シーズンで5万枚以上撮り貯めた中に、自分で納得した写真は一枚もない。それも当然、俺はチームが負けることを望んでいた。サポーターが自分たちの声援が選手の力になるなんて、思い上がりだと吐き捨てていた。他のカメラマンの写真が評価されると、粗探しを目的に見ていた。そう俺は彼らに嫉妬していた。彼らのように、泣いてしまうほどの情熱か欲しかった。
元々映画監督になりたくて、付属高校から内部進学の大学を1年で中退してまで映画専門学校へ通った。そこで集団行動と自己主張の応酬についていけず、優しいと評判の講師目当てで受けた写真の授業が、一人作業で心地よくて、写真の専門学校へ変えるきっかけになった。
それは逃げだった。
父に偽りの情熱を訴えて、1年間掛け持ちでアルバイトをして、自分で学費を払うことで騙した。申し訳なくて、自分が恥ずかしくて、自分のお金なら本気になれると期待した。
写真の魅力は撮りながら見つかればと思いながら、叶うことなく卒業を迎えた。就職は広告代理店で働く父が紹介してくれた昭三さんの世話になった。
昭三さんはフリーカメラマンとして、サッカー協会から表彰されるような人だった。会社に所属せず、個人事務所を構え、Jリーグが発足する以前からサッカーを撮り続け、サッカーの写真だけで生活出来る数少ないカメラマンだった。
ちっちゃくて、タヌキの置物みたいに丸っこい体で、真っ白い無精髭を笑顔で揺らす75歳のおじいちゃん、選手からも「昭ちゃん」と親しみを込めて呼ばれていた。写真が大好きで、サッカーが大好きで、昭三さんがカメラを向ければ、どんなベテラン選手だって笑顔になった。
「いい写真が撮れたね」
昭三さんの口癖だ。
撮った写真を見せると必ず褒めてくれた。どんな写真を見せても褒めるから、一度だけどうしょうもない写真を見せたことがあった。
試合終了直後、勝利を喜びピッチへ駆け出す選手を、ベンチに座ったまま見つめている選手へピントを合わせた写真だった。その選手はそのシーズン出場機会がなくて、ふて腐れていた姿だった。
「いい写真だな」
「これ使えますか?」
「無理だろうな。これじゃあ誰も喜びようがないから、クラブとしては使いどころはないな。でもいい写真だよ。お前の心が全部写っているよ」
昭三さんはそんな使えない写真を賞状ほどの大きさにプリントアウトした。
事務所の四方の壁はファイルされた昭三さんの撮り貯めた写真で埋め尽くされ、その一角に空っぽの棚が一つだけあった。そこに先程の写真をファイルに挟んで昭三さんが収めた。昭三さんの下で世話になって、俺専用の棚を用意されて1年経って初めてだった。
「これが原点になるよ」
俺には無価値にしか見えない1枚から、確かな価値を見つけて伝えてくれる。それが昭三さんの凄さだった。同じ時間、場所、画角を見ていても、切り取る視点が違う。昭三さんの写真は撮られた側も見る側も必ず幸せにさせた。
それはひとえにサッカーと写真に対する愛情が成せる技だった。
「どうしたら、愛せますか?」
昭三さんみたいになりたかった。嘘偽りなく、仕事を愛したかった。
昭三さんは目をつむって、
「一ノ瀬だけを撮りなさい。他は撮らなくていい」
現在20歳の一ノ瀬は、9歳でギメス青梅の下部組織に入団し、当時の夢のひとつがこのクラブでプロになることだった。見事叶えた道程は、ネットの情報をたどれば順風満帆としか言えない経歴が並んでいた。
15歳からアンダー世代の日本代表に選ばれ続け、現時点で東京五輪の候補でもあった。怪我さえしなければ、確実だと言われ、その由縁は190の長身のわりに、足が速く、ボール扱いの巧みさにある。下部組織の頃から将来を嘱望され、世界で通用するセンターバックに育てるべくプログラムが組まれてきた。その一貫が、ボランチ起用である。
現代のセンターバックは、ヘディングや守備力だけでは評価されない。ゲームの組み立てに参加して、ゴールへ繋がるひとつ前のパスや局面を変えるパス、ドリブルで持ち運ぶことも求められた。チームの勝利よりも、一ノ瀬個人の成長を求められてのボランチ起用だった。
それはプロになって1年目まで続き、五輪を2年後へ控える中で、満を持してセンターバックに専念することになった。これほど計画通りに歩んできた男だけを撮らなければならないのか、、、そう思いながらカメラを向けた。
セットプレーからゴールを奪い、競り合いに強く、1対1はほぼ抜かれない。DFでありながら派手なプレーが多く、撮る場面はいくらでもあった。それでも昭三さんに認められる写真は、ひと月経っても1枚もなかった。
原因がわかっている。俺の写真は物真似でしかない。撮りたい理想がないから、雑誌を読みあさって、掲載されている写真と同じような写真を狙っても、経験も技術も足らない俺が、同じ切り口で競争して勝てるはずがなかった。とはいえ、感情のままにカメラを向ければ、嫉妬や焦りから、輝く選手の粗捜しのような使えない写真が貯まっていくだけだった。
隣でカメラを構える昭三さんには、選手から声を掛けて、自ら写真を求めていた。
俺は一度も求められなかった。
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