永遠の初恋

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「お、懐かしい」  義理の姉が卓上の写真たてに手を伸ばす。止める間もなかった。なんて目敏い。 「高校生だっけ?」 「ええ。兄がピアノコンクールで優勝した時の」  やはり飾っておくんじゃなかった。少しお茶をするだけ。短時間の滞在だからと高を括ったのが間違いーー後悔しても遅いが。 「琴音ちゃんは小学生だったよね。授業が終わってすぐに駆けつけて」 「浅野さんも応援に来てくれましたよね」  義姉を旧姓で呼ぶのは、幼い頃からの癖であり、せめてもの意地だ。兄と同じ苗字で呼ぶことができない。したくない。無意味な抵抗と知りつつも頑として『浅野さん』と呼び続けた。 「冷やかしに行っただけだよ」  感慨深げに写真を眺めていた義姉が微かに眉をひそめる。案の定、違和感を抱いたようだ。 「……でも、なんでこれを?」  義姉が手に取ったのはトロフィーを持った兄が映っている写真だ。  優勝したのだから笑顔の一つでも見せればいいのに、兄は仏頂面でカメラを見据えている。顔の造形が整っているだけに余計迫力があった。  しかし義姉が指摘しているのはそういうことではない。仮にも自分の夫、それも高校時代からの付き合いだ。兄に愛想がないのは重々知っているだろう。 「これしかないんです」  写真のアングルがズレて、兄の左手が不自然に途切れている。撮影ミスだとも推察できるし、通常の写真よりも半分のサイズなので何かの切り抜きとも思える。そんなお世辞にも良いとは言えないワンショットが、私の全てだった。  今思えば、一番幸せな頃だった。二人が交際しているとは露知らず、兄とーー好きな人と一緒にいられることが、ただただ嬉しかった。このままずっと、変わらないままだと根拠もなく信じて疑いもしなかった。 「現像すればいいのに。今度持って来ようか?」  兄の写真データならいくらでもこの人は持っているだろう。その逆も然りだ。冗談じゃなかった。  私を置いて二人は愛を育み、幸せな日々を積み重ねている。私には兄がコンクールで優勝した時の、あの一瞬しかないというのに。 「これでいいんです」  愛や恋が綺麗なものだと、一体誰が決めたのだろう。少なくとも私が胸に抱いている想いは、他人から見たら『異常』と呼ばれることかもしれない。 「おかしいですかね? 後生大事に取っておくなんて」  でも本気だった。幼いなりに本気に好きだった。 「それだけ好きだってことだよね?」 「ええ」私は義姉の顔を真正面から見つめた「大切な人です。結婚しても変わりません」  義姉は破顔した。無邪気な笑みだった。 「じゃあ、いいんじゃないかな。ブラコンだとは思うけど、悪いことじゃない」  ため息が口をついて出た。安堵か落胆かは自分でも判別がつかない。  紅茶とお持たせのケーキを食べて、義姉は満足して帰った。「またね」と当然のように言ってくれたのが、ほんの少しだけ嬉しかった。  同じだけの想いを返してくれる日は、きっと永遠に来ない。でもこうして少しずつ積み重ねることはできるはずだ。  私は卓上の写真立ての裏蓋を開けた。折り目の入った写真には、兄の他に朗らかに笑う義姉がいた。そして二人の間には、照れたようにはにかむ、幼い自分の姿があった。  私は再び写真を折って、先ほどとは裏向きにセットした。
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