最終勤務日の写真

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 職場のいじられキャラで、「最も一緒に仕事をしたくない同僚」の称号を持つ奥村が会社を辞めることになった。退社する数週間前の忘年会で「退社の決断をした」と元上司の武藤へ報告した。母親の介護が必要となり、急遽、富山の実家へ戻る話を聞き、武藤は慰留することはできなかった。代わりに新しい生活に向けてのアドバイスを行っていった。  奥村は母子家庭で育ち、物理学で大学院まで通わせてもらったが、その知識は仕事には活かせなかった。孤独なサラリーマン生活で、十年以上も大切な時間を浪費していた。  職場では従順さとITリテラシーの高さから重宝される面もあるが、相手の感情の地雷を自ら進んで踏んでしまう天性の異次元キャラで、日々、もめごとが起きていた。多くのメンバーが教育・指導を行ったが、奥村のブラックホールのような吸引力で指導係の気力と体力と忍耐力を奪い取っていった。  あの手この手で教えても、奥村本人は悪気はないのだが、肝心なところが抜けてしまい、チームの輪を乱してしまう。「わかりました!すぐやります!」と元気のいい返事をするのだが、指示とは違う成果物だったり、並行作業すると前の作業を忘れてしまったり、ちょっとした連絡や相談をしなかったり。  奥村本人の原因ではない不運な事象も招いてしまう。打合せスケジュールが後から重複登録されて負けてしまったり、お客様や他部署の都合でプロジェクトに問題が起きたり、大きなことから些細なことまで、奥村の「運の無さ」が突出している。  今まで職場で怒ったことのないベテランメンバーと組ませても、奥村の吸引力が勝ってしまい、「奥村と一緒に仕事をしたくない」と言わせてしまう。周りから「取扱注意」のレッテルを貼られ、職場を転々としていた。  若いときの武藤は昭和の気合いと根性論のスタイルで仕事を覚えていった。令和の時代ならパワハラ・ブラック企業と認定されるような指導方法が日常茶飯事だった。なにくそ魂で先輩の背中を盗み見て知識とスキルを付けていった。自分の経験から後輩を指導すると、どうしても昭和スタイルになってしまう。何人も指導しているうちに、時代が変わってきていることに気づき、コーチング術を学び、実践の中で試行錯誤しながら育成力を磨いていった。  武藤のもとには、様々な問題児が集まってきた。ほとんどのメンバーが職場で馴染むことができず、低スキル者の烙印を押されていた。武藤は受け入れを拒まなかったが、指導は何度も失敗を重ねた。一人ひとり個性が異なり、得手不得手もそれぞれだった。相手のことを考え、過去に上手くいった方法を用いても、逆効果になってしまうことも多々あった。成長を期待して粘り強く向き合っても、裏切られるたびに、武藤の心も疲弊していった。周りや上司からも「そんな無駄なことに力を注ぐのは」という批判を浴びていたが、武藤は逆にそれが反骨精神の火となり、「今に見てろ、俺が活躍させてやる!」と心の底で叫んでいた。  奥村も武藤塾に弟子入りした一人であった。武藤は色々な指導方法で奥村に接していった。奥村の人となりや考え方を理解するために、私生活や人生経験、趣味嗜好をヒアリングしたが、今までに出会ったことのない、アクの強い個性を持った人財であった。武藤の熱血指導は、時に他部署からパワハラだと批判され、上司から釘を刺されたこともあった。それでも武藤は見放さず、奥村を手元に置いて、難易度の高い業務を遂行していった。指導とともに、業務の成果を出すことは並大抵のことではなかったが、代わりに外野のクレームは徐々に減っていった。  奥村のスキルや知識がある程度のところまで来たと判断した武藤は、奥村の成長のために、他部署へ異動させることにした。修行の旅へ出すのは不安だった。谷へ落とすような感覚で決断した。奥村本人は異動直後ははりきっていたが、新しい職場に馴染むことができず、怠惰な生活へ戻ってしまっていた。そんな時に、実家の母親の問題が発生し、1回目のサラリーマン人生に終止符を打つことになってしまった。  奥村の決断を聞いた武藤は、奥村を共に指導したメンバーを巻き込み、様々なアドバイスを送った。奥村は平日は東京で引継ぎ作業を行い、土日は実家で母親との生活を続けていた。東京から逃げるような気持ちでいた奥村の考えが徐々に、前向きな姿勢へ変わっていった。  奥村の勤務最終日、挨拶回りの最後は武藤のところへ顔を出した。話すことはたくさんあったが、お互いに最後の時間をどう使ったらいいか迷っていた。職場のメンバーから「最後に写真を撮りましょう!」と提案の声をあがった。奥村を見送るために待っていたメンバーが集まり、集合写真をスマホで撮影した。奥村のスマホを取り上げて撮影したり、何枚も写真を撮った。  最後に「武藤さんと奥村のツーショット写真を撮ろう!」と囃したてられ、奥村のスマホと武藤のスマホを取り上げて撮影した。  帰り際、奥村は武藤に最後のお願いをした。「握手させてください!」  恥ずかしがる武藤はそっと手を出し、両手で握りしめ、最後の別れとなった。  お互いのスマホには写真が残っている。これからの人生は別々の道となるが、この経験は両者にとって、貴重な時間だった。その証拠として、この写真はいつまでも保存しておこうと思う二人であった。
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