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俯いた視界に、千歳の黒足袋が映る。大きな手が頭に乗せられ、いきなり力まかせにわしわしと髪を掻かれた。
「……っ…なにする…!」
「ちゃんと顔あげ。一瞬やで。」
そう言うと、千歳は掌をおれの頭に置いたまま頭上を見上げ、呟いた。
『裏返し。』
瞬間、周囲に甘い香りが立ち込めた気がした。散り散りに風に舞っていた花びらのひとつひとつが、弾けるように見事な芙蓉の花となり、小さな神社の境内から見上げる空を優しい薄桃に染める。そのまましばらく風に遊び、ふわりふわりと漂いながら元いた低木に運ばれて、季節外れの満開となる。
「………綺麗、だな。」
まるで時間ごと巻き戻ったかのように生き生きと咲く、風に揺れる大ぶりな花を眺めながら呟くと千歳はふっと小さく笑った。
「そうやな。天音の力で咲いたんやで。」
「………おれは、散らしただけだろ。」
「おれは反射しただけや。元はおまえの霊力やろ。…まぁ、今日はこれくらいにしといたる。おっさん帰ってくるまでに蔵の米空にしたらどやされそうやしなぁ…。」
千歳はそう言うとおれの頭をぽんと軽くはたいてすたすたと離れの方へ歩き出した。
「…おっさん?それってもしかして、おれのじいちゃんのことか…?」
「おーい、はよ来い。今日は皿洗いくらいは手伝ってもらうからなー。」
羽織の裾を軽やかに翻して歩く千歳の背中を追いかける。境内を通り抜ける風に芙蓉の甘い香りが溶け込み、柔らかく頬を撫でた。
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