参:エンゲル係数と黒百合の怪(どっちも深刻。)

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************************ 「天音、明日ほんまに行くんか?例の、呪いの花咲く植物園。」 「無理に名付けんな…。おまえにそういうセンスがないのはもうわかったから。」 結局、庵が置いて帰った「報告書」を読んだり、似たような事象の心当たりのある書物を探したりしているうちに結構な時間が経ってしまったことを言い訳に、時短優先となった夕飯を食べながら千歳が尋ねる。おれは新鮮な野菜の和え物を口に運びながら、相変わらず残念なネーミングセンスを披露する千歳を眺めた。 「天音の一族はおれに対して厳しいな…。まぁそれはいいねんけど、放課後直接行くんやったらちゃんと準備して行きや。」 「準備?」 「そう。あの話がほんまやったら、精神作用の術が広範囲にかかってるかもしれんやろ。おれはともかくとして天音にも効力があるかもしれん。護符なり宝珠なり、なんか身清められるものは持っといたほうがいいで。」 「精神作用か…。」 苦手な分野だな、と心の中で小さく付け足す。庵の報告書によれば、ある時期を境に植物園を訪れた人々がひどい悪夢にうなされるようになったということだった。辛い体験や、怖いと思っていることが鮮明に夢に蘇りうなされる。そういう状態が数日間続くらしい。 もっとわかりやすい「幽霊話」とかなら興味本位で覗きに行く者もいるだろうが、こういう…言っちゃ悪いが地味なくせに現実味のある怪奇現象に取り憑かれたい物好きはそうそう居まい。そして人聞きなのか実体験なのか、「呪い」としての噂が広がり、ぱったりと客足が途絶えてしまったということだった。 起こっている現象自体、おそらく何らかの霊力や霊術が関わっている可能性の高いものだし、相談を受けたからには行かないわけにはいかないのだが、個人的にはあまり気の進まない案件だった。精神に作用する得体の知れない術式…間違いなくおれにとって「苦手分野」だ。たしかに霊力は強い方だし、祖父仕込みの体術もそこそこ使いこなせるようになったとは思う。でも「気持ち」につけ込まれたら、おれはたぶん誰よりも弱い。霊力云々なんてたぶん関係なく。 不安を振り払うように茶碗を引き寄せ飯をかきこむと、千歳が目を丸くした。 「弱ってなくてもなかなかの食いっぷりやな。」 「別にいいだろ。」 妙なポイントに感心したようにまじまじとおれを眺める千歳にそっけなく答えると、千歳は可笑しそうに表情を崩す。 「いいと思うで。美味(うま)そうに食うから見てて飽きんしな。それにしても、なかなかちゃんと作れんねんなぁ。」 「…千歳ほどじゃない。」 おれよりもよっぽど「美味そう」に、おれの作った質素な料理を頬張っている千歳を見て正直ほっとしていたのだが、「お口に合って良かったです」なんて言うようなキャラでもないので簡潔に返答した。千歳は味噌汁の椀から新緑の目を上げ、ふっと笑った。 「そんなことないで。おれはこっちのが好きや。」 「…………それなら、いいけど。」 こうして誰かと向かい合って晩飯を食うこと自体も随分久しぶりだ。しかもその「誰か」は突然現れたいまだイマイチ素性の知れない妖。いつの間にこんなに馴染んだんだと千歳にも自分にも呆れるけれど、悔しいことにひとりで食べるよりもずっと栄養が身体に沁み込むような気がする。 綺麗な箸づかいで焼き魚や野菜の和え物を嬉しそうに平らげていく千歳を見ていると、喉のあたりに微かにつかえていたものが飯と一緒にすっと胃に落ちていく気がした。
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