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【論文】抑圧と悪い対象の回帰
フェアバーンの1943年論文、栗原先生編訳ver.です。ちなみに、私が読んでいるのは遠見書房から発刊されているフェアベーン主要論文集、相田信男先生監修のご本です。
面白い!とにかく、対象関係論好きを公言していてフェアバーンを読まなかったのはなぜですか?って気持ちです。いや、単にまだフロイト 読み切れてないとかそういうのもあるけど、まぁ、、面白い!
ここにきてようやく分かったことは、対象関係論の対象関係論たる所以は、つまり、「リビドーは対象に向かうものだ」という考え方によるんだと言うことです。
これを分からないまま、自我心理学と対象関係論の違いなど宣っていた自分が恥ずかしい……
すごく個人的イメージとして噛み砕くと(北山先生好きの私的にはやはり)、劇的、と言う言葉がしっくりくるなぁと。
これでも、もっと比喩的な話だと思っていたんです。フェアバーン読むまでは。でも、今回フェアバーン読み出してみて、対象関係論って、人の心の動きを正に劇的に捉えているんだなぁとすごく感じました。
私たちの心のエネルギーであるところのリビドーは、まさしく対象を希求している。
フロイト的には(多分それは自我心理学的にはと言い換えてもいいんだと思うんだけど)、リビドーは快に向かって流れるものだと考えていて、だからこそ、リビドーが備給される先は、口だったり肛門だったりペニスだったりすると考えていたんだけど、フェアバーンを見ると、彼は、リビドーが求めているのはあくまで対象だと言っています。つまり、口とか肛門とかペニスは、ここにおいて手段でしかないわけ。対象とつながるための手段。
おっぱいが対象である赤ちゃんにとって、対象と繋がれるのは口だから、結果として口にエネルギーが向かうことになるのだし、トイレットトレーニングに入るとお母さんという対象と情緒的繋がりを得るために肛門を使うわけだし、そこからさらに成長してエディプス期に入ると、お母さんという対象がお父さんのものであることを知った子供がそれを奪いたいと望んでそのための手段としてペニスを使う。どれもこれも手段ですよねって話。
これは個人的にはすごく納得のいく話で、健康な人も、口唇期的反応めちゃめちゃするじゃないですか。例えば私はストレス感じるとどか食いするタイプなんですが、、小学校低学年まで指しゃぶりやめられなかったりもしたんで、結構口愛欲求強いんですね。多分、昔から。でも、こういう人って別に珍しくない。摂食の問題がある人とか、性行為も、基本的に口愛的だと私は思うんですけどね。性器使うのなんて一瞬じゃない?舐めて吸ってがベースにあって、それってすごく口愛的。
で、こういう事象って、フロイト理論だとなんか変な感じするんです。じゃあペッティング重視の人はみな口愛的で、退行的で、幼児的なのかといえば、そんなことはないわけです。フロイト理論だと、多分、、ちょっと自信ないんだけど、これって口唇期にリビドー固着が起きている、つまりクリアしなきゃいけない葛藤をクリアできていないってことになっちゃうと思うんですが、現実的にはそんなことないわけで。で、対象関係論。フェアバーンの登場です。口愛的な行為を対象と繋がるための手段と捉えるわけです。舐めて、吸って、噛んで、は一番最初に私たちが学んだ対象獲得の方法なので、それから先何度でも使われるわけです。それは適応的な水準で使われることもあれば、不適応的な水準で使われることもあるけれど、口愛的であることそれ自体が幼児的とは言えない。
うんうん、そう思う。すごくそう思う。
フロイトはやっぱり父性的な人だったんだろうなと想像します。実態はわからないけど、少なくとも、プロフェッサーフロイドである自分自身に、父性的であることを求めた人。
対象関係論は母性的な感じがします。感性鋭い世話焼きおばちゃんクラインが始まりになっているとこからしてもう、それは当然なのかもしれませんが…対象関係論は柔らかい触り心地がします。
まだまだ全然、きちんと理解できているわけではないと思いますが、少しずつ、私の血肉になるといいなと思っているのです。
本読んで講義受けてるだけじゃだめなのも分かっているのだ…精神分析は文化、なので。。何よりも体験が大切!!頑張らねば!
では、今日はここまで。
2020.4.26
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