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温もり
不幸になりたくてなる人はいない。それでも、不幸はやってきた。
なんで私なの。真面目に毎日働いて、誰にも迷惑かけないで、一生懸命やってきたのに。悪いことなにもしてないのに。
ミカは、最寄り駅から徒歩十分ほどのアパートに住んでいる。三描建てのアパートの、206号室だ。
ピンポーン
ドアが開くと同時に、豊かでコクのある香りが広がった。暖かくて、美味しそうな匂い。玄関チャイムがシャリリと鳴って、ミカが微笑んだ。
「久しぶり。今日は特別冷えるからね、おでん作ってみたよ」
ミカは、お日様の光をいっぱいに浴びた毛布みたいな人。暖かくて、柔らかくて、安心感をくれる。その声を聞いた瞬間に、勝手に涙が溢れ出た。
「ありがとう、ありがとう……」
いいから入りなよ、と促されて部屋に入る。久しぶりのミカの部屋。ピカピカに磨かれた床や、きちんと整理された書棚は、ぐちゃぐちゃになった感情を少しだけ落ち着けてくれるようだった。
「お邪魔します」
1DKの部屋には余計なものは何一つなく、すべてがあるべき場所に役割を持って存在しているような気がした。
「まぁ座ってよ、荷物はこの辺に置いておこっか」
ミカと出会ったのは、中学生のときだった。三年間同じクラスで、同じ部活。自然と仲良くなっていった。ケンカをしたこともほとんど無くて、どちらかというと、私はいつもわがままを聞いてもらう方だった。
高校からは別々の学校に離れたけど、ずっと連絡を取り合って、何度か旅行にも行ったことがある。いわゆる親友ってやつかもしれない。ミカにしか言えないことが、たくさんある。
「春休みだし、今週はバイトも無いから、気がすむまでゆっくりしていいよ」
「本当にありがとう」
ローテーブルには布製の鍋敷きと、その上に白い土鍋が置かれている。
ほんの少し、心がホッとしていた。それでも数時間前の衝撃が簡単に癒えるはずもなかった。
「最近ね、バイト先のユミが犬を飼ったからね、こないだ見させてもらったの。もう物凄く可愛いかったよ!プードルなんだけど、ちょっと待ってね、写真撮ったんだ」
ミカは、私が無理に話さなくてもいいように気を使ってくれた。内心すごく助かった。
「それよりさ、ミカは、どうしてそんなに髪が綺麗で、お肌もつるつるなの? 羨ましいなあ」
「そんなことないよー。でもね、大切なのは、明日への希望だと思うよ。なんちゃって!」
一方の話が終わればもう一方が「そういえばね」と、なんの脈絡もなく、他愛のない話をし続けた。
そして、いつのまにか夜も深まり、二人とも眠ってしまったようだった。
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