あの子の、写真

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あの子の、写真

「うーん」 唸りつつ、回転椅子に座ったまま目の前の山になった写真を、右と左に仕分ける。 右が残しておくもの、左が処分するもの。 両手いっぱいに抱えられる写真のほとんどが、高校時代の懐かしいものだったが、生憎と、量が量なので昔を懐かしんでいる場合ではなかった。 最早、そうプログラムされた機械のように、事務的に仕分けていく。 「なんかさぁ」 山から一枚一枚抜き取っては、左右に振り分ける私の背中に、溜息混じりの声が掛けられる。 振り向くこともせずに「何?」と問えば、今度は別に深い息が吐き出され、続けて「あんまり写ってないな」と言われた。 入学式に、真新しい制服に身を包んだ私の写真を持ったまま、回転椅子を回して振り返る。 振り返った先には、フローリングの床に、勝手に持ち込まれた人を駄目にするタイプのソファーを置き、それに沈みつつ、床にそのまま置かれた写真の山を切り崩す彼がいた。 下がったらしい黒縁眼鏡のブリッジを押し上げながら、彼は切れ長の瞳を私に向ける。 そうして、仕分け途中の写真を一枚こちらに向け、左右に小さく振った。 「お前、あんまり写ってないな」 ハテ、と首を捻っていた私は、彼の言葉に納得し「あぁ」と何度か頷いた。 「高校の頃は写真部だったからね。基本的に、写真は撮られるよりも撮る方が好きだよ」 「そりゃまぁ、お前、今はそれが仕事だし」 私は持っていた入学式の写真を、右のたった数枚の写真の塊へと滑らせる。 初めてカメラを持ったのは中学生、それから高校では写真部、専門学校に進み、何とかプロのカメラマンとして食い繋いでいけるのが今だ。 仕事部屋でもある部屋で、座っている回転椅子を一回転させる。 壁沿いに設置した本棚には、地方のガイドブックや写真集が収められており、そのうちの一角は、私の撮った写真を一冊にまとめた、私の写真集もあった。 「つーか、写真部だったってだけで、こんなに写真、あるもんなの?」 「さぁ?世間一般の写真部の基準が分からないからなぁ。それより、ちゃんと仕分けてる?」 彼の手前にある写真の山も、やはり、両手いっぱいに抱えられるほどだ。 その多くに私という存在は写り込まず、その画面外でカメラを構えている。 私と同じように右に残すべき写真、左に処分すべき写真と分けている彼の山を覗き、適当に一枚二枚と抜き取っては確認した。 私同様に、右の山は随分と少ない。 左の山は、最早交流すらないような同級生達が写っているものばかりだ。 「お前と、後、風景メインを残すんだよな」 「そうそう。他の人の写真は、本当にメインに一人とかいうのがあったら、ちょっと聞いて欲しい」 「あんま見当たんないけどな」 「そりゃあ、特別親しい人とかいなかったし」 私の返答に、ハハッ、と目を細めて笑う彼。 薄く開いた唇から覗く、真っ白な八重歯が少し幼く見える。 「ずっと写真撮るか、カメラの手入れしてそう」 「あながち間違いじゃない」 ソファーに溶け込むように身を沈める彼が、ポイポイとほとんどの写真を左の山へと投げていく。 床の上での作業は辛くないのか、と思ったが、案外快適そうに、楽しそうにしているので、口にするのは止めておく。 普通に手伝って貰えるのは有難い。 実家の母が、溜め込んだ写真の整理をして欲しいと、段ボールで送り付けて来た時は卒倒しそうになったが。 そもそも、私が写真を整理せずに実家を出たのがいけないのだろう。 うーん、と深く頷きつつ、床を蹴り、回転椅子を回す。 整理した暁には、私の写った写真を実家に送り直して欲しい、と言われ、段ボールのままクローゼットに放り込んでおくことは出来なくなったのだ。 何でも、アルバムを作るのだとか。 幼少の頃の写真はあれど、成長と共に写真が減り、実家を出たために会う機会も減り、懐かしむものが欲しいのだろう。 仮にもプロのカメラマン、分からなくはない話だ。 今度実家に帰った際には、母がまとめてくれるアルバムを見返しつつ、昔話に花を咲かせるのも悪くない。 彼も、その際には是非連れて行ってくれ、と言うのだが、アルバムの中身を確認しないことには連れて帰れそうにないが。 さて、私も作業に戻ろうか、と机の上の山と向き合った時「うおぉっ!!」と腹に力を込めた悲鳴が背後から響き渡り、驚いて腕を机の角にぶつけた。 ガシャン、という音が続き、腕の痛みに唇を噛む。 「痛っ……。何、本当に痛いんだけど」 崩れ掛けの山を直しつつ、腕をさすりながら振り向けば、彼は何故か本棚の方向を指差していた。 床を蹴ったのか、写真の山が雪崩を起こしている。 私はそれを見て「あーあ」と溜息を吐いた。 腕は未だズキズキと痛み、上着の袖を捲れば既に薄青に染まっている。 「おまっ、あれ……」 「何?」 ソファーに体を完全に沈め切ってしまっていた彼が飛び起きると、私の方を振り向き、また、本棚の方向を指差した。 顔面蒼白、見開かれた黒目が濡れている。 「勘弁してくれ」そう言って頭を抱えた彼に、私は眉を寄せながら首を傾げ、指先の方向をもう一度見た。 写真の山が雪崩を起こした先、本棚との距離が少しあるが、一枚だけ他の写真よりも本棚に近く、飛び出しているものがある。 私は回転椅子から、飛び跳ねるように降り、飛び出している写真の前まで向かう。 その場にしゃがみ込み、ひっくり返って裏返っている写真を拾い上げて、表へ返す。 その写真に写っているのは、懐かしの高校で、場所は中庭だった。 数人の女子生徒が、中庭にある木を囲んだ丸いベンチに腰を下ろし、弁当やら菓子パンを広げている写真。 私はその写真を見下ろして、あ、と小さな声を上げた。 それを聞いた彼が「あ、で済まないだろ!」と叫び、振り向いた先で見たのは、やはり頭を抱えて正面からソファーに沈んでいる彼。 微かな唸り声が聞こえてくる。 「ねぇ、大丈夫だって」 写真片手に彼に近付き、唸り声を上げ続ける彼の背中を数回叩いた。 大袈裟なくらいに肩を跳ねさせた彼は、顔を上げるとズレた眼鏡の隙間から、ジットリと湿度を感じさせる視線を向ける。 「俺本当、そういうの嫌い。マジで嫌い。……ってか、撮った時とか印刷した時に気付かなかったわけ?!」 「うん」 「俺の学校も色々そういう話とかあったけどさぁ、実際見ることもなければ、そんな経験したことねぇし。いや、したくねぇからいいけど」 「うんうん」 「微笑ましい写真ばっかとか、思ってたのにさぁ」 深く長い溜息を吐き出す彼は、眼鏡の位置を直しつつも、私の持つ写真からは目を逸らしていた。 私はもう一度写真を確認し「いや、これさ」と彼の方に表を返す。 「うおっ!」と太い声で驚く彼は、すぐさま顔を背けた。 「合成なんだよね」 たっぷり三拍置いて、彼は私の顔を凝視した。 顔は未だ青白さが残っている。 半開きの口からは「は」と吐息のような呟き。 私はもう一度写真を掲げ「これ、合成なんだよね」と繰り返した。 私は彼に向けた写真を覗き込み、ここ、とある一点を人差し指で指し示す。 彼は喉を引くつかせたが、それでも私の指し示す場所を見た。 中庭とは、その名の通り周囲を建物に囲まれたその真ん中に位置する庭のことを言う。 そして、私が指し示したのは、中庭を囲む懐かしの校舎の窓だった。 真っ白な手をひたり、窓に添えた少女がいて、しかし、顔ばかりが浮き上がり、体が存在しない。 ただ、無表情にこちら側を凝視している。 私は見覚えのあり過ぎるその顔を見つめ返し、鼻から深く息を吐き出した。 「何……お前、写真部って、そういう活動もしてたの?」 「いや、まさか。私個人で作ってたやつだよ」 私は写真を自分の方へひっくり返し、指の腹で彼女の顔を撫でた。 真っ白な顔で虚空を見つめているような空虚さを感じる表情だが、良く良く見れば、瞳はパッチリとした二重で、唇は薄く、鼻筋が通った、顎の小さな顔で、集まるパーツはどれも一級品だ。 まだ残る幼さ故、可愛らしい、と呼ぶに相応しい顔立ちで、私は今だったらきっと、綺麗な顔立ちになっていただろう、と思う。 物思いに耽ける私を、怪訝そうな顔をして凝視する彼は、ソファーに体を沈め直し「……学生の頃は、そういうの作るのが趣味だったとか?」と聞いてくる。 何とか自分が納得出来る理由が欲しいようだ。 私は写真から顔を上げて、肩を竦めて見せた。 「いいや、普通に写真撮るのが趣味だったけど」 「じゃあ、マジで何……。その子のこと嫌いだったとか?」 「それも違うけど。大体、一年生の頃から違うクラスだったし。二年の最後の方に死んじゃったし」 「死んじゃったし?!」 ギョッ、として声を上げた彼は、お尻で僅かに後退る。 見開かれた黒目が大きく揺れたのを見ながら、私は顎を小さく引いて、うん、と頷いた。 二年の時だってクラスは違ったので、同級生と呼ぶにも薄い関係性だ。 「え、それ、本当に大丈夫?」 「大丈夫だってば。他の物と一緒に処分したつもりでいたんだけど、残ってたんだね。これが一番最初に作った習作みたいなものだよ」 「心霊写真の習作って何」 彼の的確なツッコミに、私は声を上げて笑う。 深い溜息を吐き出す彼は、自分の前髪を掴み、全ての息を吐き切った後に、前髪を離す。 「お前さぁ」と呟かれれば、私は「多分好きだった」と答えだ。 また、彼が私を凝視する。 眉が寄せ上げられ、眉間には深い皺が刻まれた。 「一年の時、写真部の写真を貼り出してた時、たまたま通り掛かったらしいその子が、私の写真を褒めてくれてて、嬉しかったのが切っ掛けかな」 私は彼が仕分けていた写真の山の前に、胡座をかいて座り込む。 隣に手作りの心霊写真を置いて、残る山へと手を突っ込んだ。 適当に漁り、ほら、ほらほらほら、と選びとったものを彼の方へと投げていく。 彼は「うわっ」とか「何っ……」とか言いながら、投げつけられた写真を拾い上げて、自分の目の高さまで持っていき、そこに写っているものを確認する。 私が選びとって彼に投げつけた写真には、どれもこれもちゃんと生きていた彼女が写っていた。 虚空を見つめるような空虚な表情ではなく、花が咲くような日当たりの良い場所が良く似合う笑顔を浮かべるものばかりだ。 彼は「可愛い」と言うので、私は「そうでしょう」と頷いた。 心霊写真を作るに当たって、切り取って薄めてボヤかして、画素数を落として、などなど弄り回したので、本来の彼女を見ればそういうのは当然だ。 「え、て言うか、これ、お前が撮った写真?ストーカーは犯罪だからな」 「失礼なことを言うなぁ。色んな学校行事で写真部が撮った写真から、何枚か下さいって言ったら普通に貰えるやつだよ」 「あぁ、それなら、うん、まぁ」 「私が撮ったのもあるけど」 「お前……」 投げつけた全ての写真を確認したらしい彼が、顔を上げて眇めた目を私に向けるので、私は「ハハッ」と態とらしく笑い声を立てた。 しかし、誤解をして欲しくないのは、本当に見掛けた時にカメラを向けてシャッターを切っただけで、執拗な追っ掛けのような行為をした覚えはない。 首を捻る私に、彼が手を伸ばし、私の前髪を掻き上げた。 私の体温よりも高い手が心地好く、目を細める。 髪を掻き回すように撫で回され、私はされるがまま首ごと頭を揺らす。 彼は延々、私の頭を撫で続けた。 時折爪が地肌を掠めて、擽ったいと思う。 「特別話すこともなかったから、こういうことしたら、もしかしたら会えるんじゃないとか、子供の浅知恵だよ」 彼に撫でられたまま、脇に置いた写真を手に取り、指先で撫でた。 彼の手の動きと合わせて、円を描くように、撫でた。 「まぁ、一度も会えなかったけれど」 私は言って、写真を左右から持ち、右を前へ左を後ろへと交差させるように動かし、拙い心霊写真を引き裂いた。 紙の破れる小さな音が、何故か鼓膜を大きく揺らし、酷く大きな音のように聞こえる。 二つに分かれたそれを、彼の溜めていた左の山へと放り投げた。 彼はとうとう両手で私の頭を撫で回す。 首から頭が転がり落ちそうなくらい揺らされている。 「お前、俺が先に死んだら心霊写真にしそう」 「若気の至りだってば」 私の言葉に、彼はコラッ、と子供に一言叱るように、デコピンを食らわせた。 大して痛くもない攻撃だと言うのに、私は「わぁ」と叫んで、倒れて見せる。 広げた腕が写真の山とぶつかって、何枚か宙を舞う。 彼が覆い被さるように倒れ掛かって来たので、何の写真かは良く見えなかった。
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