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私は足早に店を離れる。
三週間前、四宮荒太さんをファミレスで見かけたのは本当に偶然だった。昨年、家に来た兄の部下という人を私はよく覚えている。あまり話をすることはなかったが、とても真っ直ぐな人だという印象が残っていた。
三ヶ月くらい前から、赤葦里海という女子高生と決まった時間にあの場所であっていたと本人から聞いた。兄にも確認したので、すぐに確かなことだとわかった。
「荒太さん。ちゃんと私だけを見てくれるかな」
馬鹿なことをしようとしている。それは理解している。でも、それでも私はやるべきだと思う。
スマホに、荒太さんに見せたグループチャットを表示させる。リンクをタップして、アプリをインストールする。
アプリの話を出した時の荒太さんの様子に違和感があった。何かを言わなかったとそう思えた。
小遣い稼ぎ用アプリ。
そんな触れ込みだけど、一方でこんな風にも言われている。
呪いのアプリ。
交通事故に遭うとか、通り魔に付け狙われるとか、そんな噂も同じように広まっていた。小遣い稼ぎに使われているのは本当のことみたいだけど、呪いの方は殆ど都市伝説みたいなもの。
緊張しながら、インストールの進捗率を見る。
100%になった。
何も変わらない。
「写真だっけ?」
歩道の脇に避けて写真を取る。車道の反対にあるスーパーを収めるように一枚写真を取る。通行人が入ってしまうが、どこかに上げる訳でもないので許してもらおう。
変哲もない写真が一枚、私のスマホに保存された。それだけだった。確認してみても何も変わらない。
「何もない、か」
それから私は何枚か同じように写真を取って、特に変わったものがないことを確認してから歩き出す。この後は少し服を見てから帰る予定。
陽はとっくに沈んだ頃。郊外の駅で私は降りる。家が少し都心から離れているので、都内に比べるとだいぶ暗い。
駅から家までは歩いて二十分程度の距離だ。次のバスが二十分後なのを見て、肩を落とし私は歩き始める。
人も明かりも減ってくる中、スマホを取り出す。今は午後八時を過ぎた所。家に連絡を入れた時に、晩ご飯はいらないと伝えて食べてくればよかったと少し後悔した。
そこでふと思い出す。
アプリを入れてから数時間しか立っていないが、今まで本当に何もなかった。
取った写真を改めて見てみても何もないだろう、とフォルダを開く。
大きく映るスーパー。昼に見た通りだ。スーパーの前を歩く人通りも何も変わりはない。
--本当にそうか。
違和感が私の中で警鐘を鳴らす。
もう一度写真を見る。遠く、スーパーの前を歩く人がこちらを見ていた。
息が小さな悲鳴になって漏れた。
一人じゃない。二人でもない。写る人が皆、揃ってこちらを見ている。
表情は読めない。偶然だろうか。そうに違いない。
「別の、写真、は」
言うことを聞かない指をなんとか動かして、スワイプする。
写真が流れて次の写真が表示される。
目が合った。
血走った目だ。
私を見ている。
写真を取った私じゃない。
今の私を見ている。
覚えている。パンツスーツ姿のこの女の人は、私を気にかけずに前を見て歩いていた。
みんなそうだ。誰も私を見てなんて居なかった。
なのに、私を視線が捕らえて離さない。
スマホの画面がノイズが走ったようにちらつく。
私に顔だけ向けていた女性が、全身で振り向いていた。
整った凛々しい顔立ちの人だった。それが血走った目で歯を剥き出しで、憎悪がにじむ表情で私を見ている。
画面にノイズが走る。
女性が一歩私に近づいた。女性だけじゃない。後ろでも車道に人が入って近づいて来ている。
画面にノイズが走る。
女性が肩にかけたバッグに手を伸ばした。
画面にノイズが走る。
女性のバッグから鈍色の包丁が覗いた。
「何、これ。何なの、これ」
画面にノイズが走る。
女性が狂った表情を浮かべて、包丁を突き刺すように振り上げた。
画像にノイズが走る。
女性の血走った瞳と狂気の表情が画面を埋め、左肩が熱せられた感覚が来る。
「え?」
突然、左肩のパーカーが赤く染まり、ぬめり気のある生暖かい水分を含んだように肌に張り付く。
私はスマホを取り落し、その場でうずくまり、痛みに耐えきれず絶叫した。
痛みを抑えるように、右手で傷口を乱暴に掴む。
叫び声が増す。
私は右手で更に傷口を乱暴に抑える。別の痛みが欲しかった。自分で覚悟してつける傷ならまだ我慢が出来る気がした。
そうして抑えている右手が、突然裂けた。左腕まで貫くように何か鋭利なものが通った後が付く。
再び私は絶叫する。目を開けることはできず、涙が止まらない。
三度、四度と過去に腕に何かが突き立った感触が突然に生まれる。
呼吸ができなかった。苦しくて、声も出ない。痛みが収まらずそれに耐えてうずくまるだけの私の耳に、かすかに硬いものが割れる音が届く。
気の所為かもしれなかった。何もかもが痛みで塗りつぶされて、私はまともな状態じゃない。
ただ、耳に確かに聞こえた声があった。
「遅くなってごめん。今救急車が来るから」
昼に聞いたその声に、私はとても安堵した。
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