異論は認めない旨

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異論は認めない旨

 近年、SNSの発達によって誰でも気軽に情報を発信できるようになった。それは情報の早期拡散という観点から社会においてメリットが大きいことは言うまでもない。しかしそれは同時に、自身の発言が万人の目に晒されるという危険性を常に孕んでいる。万人の目とは、ヤバいヤツの目も含まれている。つまり、どんなに真っ当なことを投稿したとしても、1%の反論や誹謗中傷が付き(まと)う可能性は避けて通れないのだ。  例を挙げると、最近あの痛ましい東池袋自動車暴走死傷事故の遺族に対して誹謗中傷を行い検挙された男がいる。あの事件においていったいどこに被害者側の過失があるといえよう。それでも一定数穿(うが)った物の見方をする者は現れるのだ。そしてそういう輩は強い言葉を使うので悪目立ちする。  さて、発達障碍という言葉が身近に聞こえてくるようになった昨今、それについて言及がなされている場所にも、当然差別的発言を繰り出すヤバいヤツは顔を出す。実はそいつらの存在などは気にするに値しない。なぜならそういう時流に沿わない発言をすれば、まともな感性を持っている人たちから数の力によって潰されるからだ。匿名だから粋がっているのか、自身の人生が満たされていないのか、それとも当人も何か精神疾患を抱えているのかはわからない。けれども少なくとも日本では差別を肯定する危険思想の持ち主は圧倒的少数派であることはたしかだ。  ただ、発達障碍に限って言えば、露骨な誹謗中傷に走る人たちよりも意識改革をしなければならないのは、実は綺麗事でお茶を濁そうとする第三者なのである。
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