異論は認めない旨

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 野生の世界では障碍を持った動物はほとんど見られない。もちろん身体にしろ精神にしろ、他の動物に障碍をもった個体が生まれてこないわけではない。ただ野生の厳しい環境下では、そもそも長くは生きられないだけである。  ヒトも例外ではない。誰しも自分が生きることに必死で他者を顧みる余裕がない時代、我が子であっても貧困や飢饉のために平然と間引きが行われていた。そんな時代にたとえ我が子であったとしても障碍をもって生まれられたら、食い扶持に困るのでやはり(うと)ましく思うこともあっただろう。  自然界においてそれは珍しいことではない。餌を十分確保して確実に育てるために、カルガモは多すぎれば何匹か子供を殺す。無情に感じるが、種の存続のためにはしかたのないことである。  また、一説によれば狩猟・農耕時代から、集団社会の存続のために人は能力の劣った仲間を殺していたそうだ。発掘された人骨には一定の割合で撲殺された痕跡があるという。障碍者へのえげつないイジメは200万年かけて(つちか)ったその本能なのかもしれない。  いずれにせよ、人権という概念はまず人々の生活水準が上がらなければ生まれない。飢餓に苦しむアフリカでご高説を垂れたところで誰も聞く耳を持たないだろう。  衣食足りて礼節を知る。結局障碍者を生かすも殺すもそれだけであるが、満腹の私たちは無用な殺生をしたくないならば、やはり障碍者ときちんと向き合わなければならない。
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