異論は認めない旨

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 障碍者には他の人と違ってできないことがある。それはただの事実だ。私が触れるのは発達障碍についてだけだが、例えば目の見えない人がパイロットになりたいと言い出したら平等論者の方々はどうするのか。もしかしたら将来技術的に視覚がなくとも操縦することが可能になるかもしれない。が、現在それは他人を巻き込んだ自殺行為でしかないので、たとえパイロットに強い憧れを抱いていたとしても、残酷ながら今は彼らに諦めてもらうより他はない。そういった現実的に不可能なことに目を背けては、障碍者の人権については何も建設的な議論はできない。  発達障碍もそれと同じなのだ。 「なんでこんな簡単なことができないんだ! 何回おんなじミスを繰り返せば気が済むんだ!」  上司から叱責されている、大人の発達障碍者によく見られるシーンである。私たちからすればあまりにも当たり前のことが彼らにはできない。そして責任者の立場からすれば、自分の管理能力や進退に関わることなので怒鳴り散らしたくなる気持ちもわかる。  これによって今までどれだけの発達障碍者がうつ病に追い込まれてきたことだろう。発達障碍の概念がなかったゆえに、私たちは彼らを叱れば成長してくれるものだと勘違いしてきた。しかし目の見えないパイロットと同じで、彼らは脳がそのように生まれてしまったので、できないものはいくら教育してもできないのだ。彼らにとって人並みの能力を要求されることは、我々には想像できないほどのストレスを要するものらしい。だから我々と同じようなコストパフォーマンスを求めるのはどちらのためにもならないのだ。  ただし、だからといって仕事量を発達障碍者に合わせることはできない。この世は無情で、競争社会だ。発達障碍者を基準に社会を回そうとすれば少なからず生産力が落ちる。その間ライバル会社や各国が足並みを揃えてくれるはずもない。人間社会も野生世界と何ら変わらない、力の強さが金に置き換わっただけの弱肉強食の世界なのだ。そのため現代社会は障碍者雇用制度などを通じて障碍者と共存していく方法を模索中なのである。
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