第2章 神様の妻はセレブでした

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「へー」 ちょっと、面白そうかも。 でも問題は。 「けど、行くとしても私はこれ着きなんだよね」 空いている手で目隠しに触れる。 朔哉の家の人たちみたいに、行く先々の人たちにお面をかぶってもらうわけにはいかない。 「ああ、そうだった。 八重に雲垣ができる出雲とか綺麗だから心桜に見せたかったけど。 無理、か」 楽しそうに揺れていた手はみるみるうちに失速していく。 私が人間だから、朔哉にはしなくていい苦労をさせている。 そういうのは胸が苦しくなった。 「もう、高天原(たまがはら)に着くからね」 そう朔哉が言ったかと思ったら、ぱっと空気が変わった。 どこからともなく、花のような匂いがする。 空気に色をつけるとしたら、薄桃色って感じだ。 「ここ、階段だから気をつけて。 ……って見えないと無理だよね」 「きゃっ」 いきなり朔哉に抱き抱えられ、慌ててその首に掴まる。 「このまま御前まで行くからね。 掴まってて」 「うん」 この衣装はかなり重い。 それに朔哉の格好だってお世辞にも動きやすいとはいえない。 なのに、私を軽々と抱えて朔哉は歩いている。 これってやっぱり、神様だからなのかな。 進む先で、さっ、さっと逃げていく気配がした。 やはり見えていなくても、人間ってだけで嫌な存在なのだろう。 「はい、ここから歩いてね」 ようやく降ろされ、また朔哉が手を引いてくれる。 けれど今度は十歩ほど歩いたところで止まった。 「ここで座って」 「うん」 おそるおそる、その場に腰を下ろす。 下は板間のようだった。 「天照大御神様のお渡りです」 座ってすぐに、朗々とした声が響き渡る。 「……あたま、下げて」 朔哉の声で、慌てて平伏した。 私の前へ、圧倒的ななにかが近づいてくる。 目隠しをし、さらにあたまを下げていてもわかる、輝き。 「あたまを上げよ」 鈴を転がすような声は、耳で聞くというよりも直接あたまの中へ響いてきているようだった。 衣擦れの音がして、朔哉があたまを上げたのがわかった。 けれど私は、できずにいた。 「我に顔を見せたくないのか」 「ち、ちが」 凄まじいプレッシャーが私のあたまを押さえつける。 それはあまりにも神々しく、それ故に――怖かった。 身体がガタガタと震え、歯の根が合わない。 あたまを上げるなど、できようはずがない。 「人間風情には無理か」 ころころとそれ――天照大御神様が笑う。 これが、偉い神様の力。 「それで。 婚姻の報告だったか」 「はい。 私、三狐神(みけつかみ)朔哉と心桜はこのたび、夫婦になりましてございます」 「それは目出度いことで。 しかし、其奴、……目を潰しておらぬな」 ……目を、潰す? 背中を冷たい汗が滑り落ちていく。 潰すってなに? あ、見えなくしてしまえば問題がないから、か。 「心桜の目を潰したりいたしませぬ」 力強い、朔哉の声が響く。 それには強い決意が表れていた。 「何故に? 自身と眷属を危険にさらすのか」 「絶対に危険などないようにいたします。 面も外しませぬ。 心桜の目を奪うなど、惨いことはしたくありませぬ」 「……好きにすればいい。 お主ごときが消えようと、替えはいくらでもいる」 「……ははっ」 衣擦れの音と共に、場の空気が少しずつ緩んでいく。 その場からその気配すら感じられなくなってやっと、私はようやくあたまを上げた。 「こわ、怖かった……」 「あー、私でも酷く緊張するからね。 心桜はなおさらだろうね」 ははっと小さく朔哉の口から落ちた笑いは、彼にしては珍しく気弱だった。 「朔哉も緊張したの?」 「当たり前だろ。 ……ほら」 私の手をぎゅっと握った朔哉の手は、じっとりと汗を掻いていたし、カタカタと小さく震えていた。 「ほんとだ」 「ね。 私なんか天照大御神様の足下にもおよばないからね」 朔哉でも怖いものがあるんだってちょっと安心した。 また抱き抱えられて移動する。 鳥居の中で一度、朔哉は私の目隠しを外した。 「お色直し、だよ」 ふふっと悪戯っぽく朔哉が笑う。 「でもまた、偉い神様のところに会いに行くんだよね?」 なら、正装じゃなくていいのかな。 「うか様はそうだな……働いている会社の、会長くらいの感じだから。 だからこんな仰々しい正装は必要ない」 「そうなんだ」 朔哉がぱちんぱちんと二度指を鳴らす。 途端に朔哉はスーツ姿に、私は桜色のワンピーススーツ姿になった。 確かに相手が会長さんなら、これでいいかもしれない。 「スーツの朔哉って格好いいね」 「そう? で、心桜にやってほしいことがあるんだけど」 「なに?」 「ネクタイ、結んで」 はい、と朔哉からネクタイを渡された。 いわれると彼のVゾーンにはネクタイがない。 「えっと……」 「結び方、知らない?」 「知ってる、けど」 高校の制服はネクタイだった。 だから当然、結び方は知っている。 でも指パッチンでお着替えが済むのに、なぜにわざわざ私に結ばせる? 「なら、結んで?」 私が結びやすいように、その高い背を屈めてくる。 仕方ないのでその首に手を回し、ネクタイを結んだ。 「これで、いい?」 「うん、ありがとう」 にへらと、面のせいでそこしか見えない口がだらしなく緩む。 「ほら、新婚さんとかがよくやるだろ。 出勤する旦那さんのネクタイ結ぶの。 あれ、一度やってみたかったんだよねー」 「はぁ」 ドラマの観すぎかっ、って一瞬、ツッコみそうになった。 でも朔哉は嬉しそうだし、いいことにする。 「じゃあまた、目隠しね」 「うん」 今度は、ワンピースと同じ桜色のリボンで目隠ししてくれた。 また、手を繋いで朔哉と歩く。 「朔哉。 天照大御神様は私の目を潰せとか言ってたけど、いいの?」 私の目が見えなくなれば、みんな危険がなくなるのだ。 痛いのは嫌だし、見えないのは困るけど、それでみんなが助かるのならそうするのも仕方ない。 「心桜は自分の目を、潰していいと思ってるの?」 「それでみんなが助かるんだったら、仕方ないかなーって」 そうなれば、あのうるさい鈴も必要ないし、朔哉と一緒にどこへでも行ける。 あ、それにキスするときに面が邪魔になるってことだってなくなる。 朔哉の顔が見えないのは、悲しいけど。 「心桜はみんなのために自分を犠牲にするんだ」 「いや、別に、犠牲ってわけでも……」 「そういうのは心桜のいいところだけど。 ……悪いところでもあるよ」 パン、朔哉の手が勢いよく、まるで頬を叩くかのように私の顔を掴む。
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