第3章 あなたの時間、私の時間

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目隠しが必要な人など、この世界ではそれしか思いつかない。 「はい。 二十年前に偶然、迷い込みまして。 うか様に惚れて、そのときから置いていただいております」 ということは、三十過ぎくらいなのかな。 「陽華さんはうか様の……旦那さん、なんですか」 だって、神様は人間が子供の間しか会ってはいけないのだと言っていた。 だからこそ私は朔哉と結婚したのだ。 なら、陽華さんだって。 「まさか」 なぜか、くすくすと可笑しそうに陽華さんは笑った。 「僕がうか様の夫だなんて畏れ多い」 「でも……」 違うのならば、彼がこの年にになってもうか様の傍にいられることに説明がつかない。 「ああ。 子供のうちにしか神にまみえられないのをご存じなんですね。 簡単ですよ、神から眷属として認めてもらえばいいだけです」 「……はい?」 じゃあ私はもしかして、結婚する必要なんてなかったってこと? 「それでも、俗世は捨てなければなりませんけどね」 「そうなんですか……」 朔哉が私を眷属ではなく結婚して妻にしてくれたのは、もしかしたらいままで通り対等な立場にするためだったのかもしれない。 そうだと、いいな。 陽華さんは私の前を危なげなく歩いて行く。 よっぽど見えない生活に慣れているみたいだ。 彼がこれだけできるのなら、私だってやればできるんだろうか。 「いつも目隠しで生活しているんですか」 「ああ、これですか」 振り返った陽華さんが、するりと自分の目隠しを外す。 その下からは……酷い傷痕が現れた。 「うか様のご尊顔を拝するなどという間違いがあってはならないので、その手で抉っていただきました。 あのときほど恍惚とした気分になれたことは他には……あ、いえ」 こほんと咳払いして誤魔化したけれど。 もしかして陽華さんって変態さん!? それに悪いけど、あのわがままなうか様に惚れ込んだとか。 うん、立派な変態さんだ。 「このとおり醜い傷痕が残ってしまいましたので、皆様を不快にさせないよう隠しております」 目隠しを結び直し、また陽華さんは歩きだした。 「あの、うか様の力で傷は治るんじゃ……?」 私が酷いやけどをして痕が残ってしまったとき。 朔哉が簡単に消してくれた。 朔哉にできるんだから、うか様にできないはずがない。 「そんな。 せっかくあの方からいただいた傷痕を消すなど……!」 若干、陽華さんの呼吸がはぁはぁと荒い。 おかげで一歩、後ろへ下がってしまった。 「私はこれで満足しているのです。 短い間ですが、精一杯お仕えさせていただきますよ」 まあ、幸せの形は人の数だけあるんだろうし、陽華さんがそれでいいのならいいんだろう。 けれど。 ――短い間。 その言葉は鋭い棘になって私の胸に突き刺さった。 行きたい場所を思い浮かべればそこへ出られると教えてもらい、朔哉の屋敷を思い出しながら鳥居をくぐる。 どこがどうなっているのか謎だけど、いくらも歩かないうちに出口が見えてきた。 「おかえり」 出口ではすでに、朔哉が待っていた。 「ただいま!」 さっき感じた不安なんて振り払うように朔哉に抱きつく。 「そんなに私と離れて淋しかったのかい?」 「うん」 人の生は神様に比べたらずっと短い。 それは朔哉と結婚しても変わらないのだと言われた。 朔哉はこの先も長い長い時を生きていくが、私はそのときいないのだ。 ――ならば。 一緒にいられる時間、目一杯朔哉を愛そう。 お昼ごはんを食べたあと、朔哉に断って書庫に籠もった。 「……崩し文字の読み方、崩し文字の読み方……」 このままではきっと、入力は遅々として進まない。 それにあれは比較的最近のものだったのにこれだけ手間取ったのだ。 年代が下がれば下がるほど、解読不能に陥るに決まっている。 「なんでまんがは滅茶苦茶揃ってるのに、肝心な本はないのー!?」 「心桜、どうかした?」 つい口に出た叫びがあまりにも大きかったのか、ひょこっと朔哉が顔を出した。 「あー、えと。 ……欲しい本がなくて」 この書庫は朔哉の趣味なんだろうか。 普通の神社とかにありそうな、古文書の類いとか全然ないけど。 「なにを探してるの?」 「……崩し文字の読み方」 面の奥で朔哉が、二、三度まばたきする。 「なんでそんなもの、探してるの?」 「実は……」 うか様のところでの、仕事を説明した。 だから、崩し文字の読み方を勉強したいのだと。 「そんなことだろうと思ったんだよね」 はぁーっ、朔哉の口から重いため息が落ちた。 「ようするに心桜を虐めたいんだろ、あの人。 私から言ってあげるから……」 「ダメ」 「え?」 朔哉の目が、面の穴よりも大きく見開かれる。 「これは、私がうか様に試されていることだから。 受けて立つよ? それで、ちゃんとやり遂げて、認めさせてやる」 きっと私が人間だから気にくわないんだろうけど。 そんなの知らない。 だいたい、こんな幼稚な虐めをしてくるなんて、本当に一番偉い、稲荷神様? 見た目と同じで、そこらの女子高生と変わらない。 「わかった。 でも無理はしないこと。 いい?」 はぁっ、と小さく朔哉がため息をついた。 私、そんなに呆れられるようなこと、言っている? 「わかった」 「じゃ、指切りね」 「え……」 朔哉に小指を差し出されたものの、躊躇した。 神様との約束は絶対だって言われた。 破ったら罰が本当に下るって。 だから今度はさすがに、そんな気軽な気分で指切りなんてできない。 「それはちょっと……」 逃げるようにじりじりと少しずつ後ろに下がる。 けれどすぐに朔哉から手を掴まれた。 「ダーメ。 ほら」 私の手を取り、勝手に小指を絡めてしまう。 「指切りげんまん、嘘ついたら……そうだな、檻に閉じ込めて私の世話無しじゃ生きられないようにしてあげる」 朔哉の形の良い唇が、にっこりと三日月型になる。 言っている内容とそぐわないほどに。 「それで、崩し文字の読み方、だっけ? ここにいるもので文字が読めるものはみんなわかるから、そんなものないんだよ。 お遣いを頼むしかないんだけど、……そうだ。 私が教えてあげよう」 いいことを思いついたとばかりに、朔哉がぽんと手を打った。 「いいの?」 「もちろん」 朔哉に手を引かれてパソコンルーム兼書斎へ移動する。 とりあえず問題は解決しそうで良かったんだけど。 さっき指切りといい、昨日の指切りといい、朔哉ってもしかして……ヤンデレ、なんだろうか。 翌日ももちろん、うか様のところへ行く。 「なにかあったらすぐに呼ぶんだよ」 「わかった」 「無理は絶対、しないこと」 「うん」 「あとは……」 「もうわかったから」
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