第3章 あなたの時間、私の時間

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今日も同じことを繰り返す心配性の朔哉に、苦笑いしかできない。 「いってきます」 「いってらっしゃい」 私の手を取って甲にちゅっと口付けを落とす。 本当は唇にしたいんだろうししてほしいけれど、面が邪魔だから仕方ない。 鳥居を抜けたところで陽華さんが待っていた。 「おはようございます」 「では、こちらへ」 事前に人払いしてあるのか、通り道に気配はない。 それはちょっと、安心した。 「じゃあ今日もよろしくー」 「はい」 ひらひらと手を振って、うか様はすぐに出ていった。 なんとなく、昨日よりもさらに箱が増えている気がするのは、気のせいですか。 ため息が出そうになって、慌てて飲み込んだ。 ダメダメ、そんな弱気じゃ。 パソコンを立ち上げ、今日も入力作業を続ける。 朔哉から崩し文字のレクチャーを受けたおかげか、昨日よりはすんなり読めた。 「これなら、スピードアップできるかも」 ひたすら無心に、文字を打ち込んでいく。 集中しているせいで、時間経過すらわからなかった。 「おっつかれー。 もうお昼よー」 「えっ!?」 うか様の登場で、ようやく手を止める。 「今日はどのくらい進んだ?」 「えーっと……」 済みの紙を貼った箱を見る。 昨日の分とあわせて二箱になっていた。 「ふーん。 でもまだまだねー」 「はぁ……」 まだまだって。 これ以上のスピードなんて、ロボットじゃないと無理じゃないのかな……。 今日もやっぱり、陽華さんに鳥居まで送ってもらう。 「ありがとうございました」 「お気をつけて」 そして鳥居を抜けるとやっぱり、朔哉が待っている。 「おかえり」 「ただいまー」 ただいまのキスの代わりに、朔哉にハグ。 うん、これもいいんじゃないかな。 「今日はどうだった?」 「えっとね……」 話をしながらお昼ごはんを食べ、朔哉から崩し文字の読み方を習う。 夜は夜で……。 「心桜、いい?」 「……うん」 相変わらずの目隠しプレイ。 そんな変わりのあまりない日々が続いていく。 宜生さんも環生さんもいまだに私を穢らわしいもののように見ている。 うか様の虐めも変わらない。 でも朔哉はいっぱい大事にして、愛してくれた。 だからそんな環境でも、私はとっても幸せだった。 嫁いだ日から幾分かたった。 外に満開で咲いていた桜は散ってしまい、すっかり青葉になっている。 「いってきます」 「いってらっしゃい」 朔哉から手に口付けをもらって、今日も私はうか様のところへ行く。 スピードは遅々として上がらないがそれでも、三十箱ほどが終わって部屋の中が少し、開放的になった。 「おはようございます」 今日も案内に陽華さんが待っている。 朔哉に袴の色のことを訊いたけど、格によって違うんだって。 紫に白紋の宜生さんは、眷属の中で一番偉いから。 陽華さんの白袴は、正式に眷属として認められていないから。 本当にそれでいいのか気になって陽華さんに訊いてみたのだけれど。 『僕はうか様のペットみたいなものなので。 それはそれで……』 はぁはぁと例のごとく陽華さんの息が荒くなり、それ以上訊くのはやめた。 「じゃあ、今日もよろしくー」 ちらっとだけ顔を出して、うか様はすぐに出ていく。 いつも、そう。 神様の普段着は好きにしていいらしいし、あの巫女装束じゃなくて女子高生みたいな格好すれば似合うんじゃないかって思うけど。 どうもあれはうか様の趣味らしい。 今日もひたすら、入力をしていく。 一角が崩れたとはいえ、まだまだ残りは多い。 なにせ、百年分だ。 「ねえ」 「うわっ」 唐突に声が聞こえ、思わず手が止まる。 おそるおそる顔を上げると、目の前にうか様が座っていた。 「前から訊きたかったんだけど。 あなた、朔哉のどこがいいの?」 その整えられた長い爪にマニキュアを塗り、ふーっと息を吹きかける。 「えっと」 「だから。 朔哉のどこがいいのって訊いてるの」 うか様の声に若干のいらだちが混じり、さらに小さくちっと舌打ちされた。 「優しいところ……です」 「それだけ?」 「え?」 それだけってなんですか? 「だから。 それだけかって訊いてるの」 せっかく綺麗にマニキュアを塗った爪を、うか様ががりがりとかじる。 なんでこんなに、イラつかれなきゃいけないんだろう。 「その。 格好良かったり、でも可愛かったり、たまに淋しそうだったり、それで心配しすぎってくらい私を心配して、大事にしてくれるから、私も朔哉を大事にしたいなと思っています」 「なにそれ、のろけ!?」 言えっていうから言ったのに、逆ギレされるなんて理不尽だ……。 「でもさ。 いくらあんたがそんなこと思ったって、朔哉と一緒にいられるのは最大見積もってあと八十年なのよ? たった、八十年!! わかる?」 「わかって、ます……」 だからこそたまに、不安になる。 朔哉にとって私と一緒にいる時間は、ほんの僅かなんだって。 「わかってるならさっさといなくなって。 またあの子が泣くのは、嫌なの」 「え?」 「とにかく、さっさといなくなって。 いい?」 びしっと、人差し指をうか様が突きつけてくる。 いなくなれとか言われても、私にはもう帰る場所はない。 フン!と鼻から勢いよく息を吐き出してうか様は出ていった。 カタ、カタと力なくキーを叩く。 うか様に言われなくたってわかっている。 でもそんな私を朔哉は愛していると言ってくれた。 大事にしたいって。 きっと私が死んだら、朔哉はまたひとりぼっちになるのだろう。 朔哉をひとりにするのは想像するだけで、胸をばりばりと裂かれるくらい、……つらい。 「……朔哉」 自分から出た声は酷く鼻声で、慌てて鼻を啜る。 ――けれど。 「心桜」 不意に後ろから、もう慣れ親しんでしまったぬくもりが私を包む。 「どうかしたのかい、そんなにつらそうな顔をして」 「朔哉……」 私を抱きしめる腕をぎゅっと掴みながらも後ろを振り返れない。 傍にいたいってわがままを言ったから、朔哉は私と結婚してくれた。 でもそれって私よりもずっと長い時を生きる朔哉にとって、つらい決断だったんじゃ。 今頃になって、そんなことに気づいてしまった。 「今日はもう、帰ろう。 うか様には私から詫びを入れておくから」 「でも……」
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