第1章 狐に嫁入り

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ぱくっと食いついたいなりは、いつも祖母が作ってくれるものよりも揚げがずっとジューシーで、本当に頬が落ちそうだ。 「奈木野(なぎの)心桜だよ。 夏休みにお祖母ちゃんの家に引っ越してきたの」 「奈木野の家の子か。 そういえば修一(しゅういち)に嫁いできた女には少し、力があったな」 長い足を組み、ソファーの背の向こうへ片腕を落とした朔哉は、きっと狐面がなければ絵本の王子様に見えるだろう。 「お祖母ちゃんを知ってるの?」 「まあな」 お茶を啜る朔哉は、酷く絵になった。 思わずぼーっと、見とれてしまうほどに。 「ねえねえ。 なんでお面なんかで顔を隠してるの? ない方がいいのに」 「これか?」 彼のきれいな右手が、面に触れる。 「……この下にはお前など、一目見ただけで気絶してしまうほど恐ろしい顔が隠されているのだ」 くっくっくっと喉の奥で、楽しそうに朔哉が笑う。 それは本当に食ってしまわれそうで魂の底から冷え、ぶるぶると身体が震えた。 「……なーんて冗談だ。 私も、ここのモノたちも、ある事情があって面が必要なのだ。 絶対にふざけて外そうなんて思うなよ」 「……うん」 すっかり怯えてしまった私を、朔哉はおかしそうにくすくすと笑っている。 どこまでが本気で、どこまでが嘘かわからず、とにかく面ことには触れないようにしようと誓った。 「そういえば、お兄ちゃんの名前は?」 食べ終わった皿を下げながら男にじろりと睨まれ、びくんと身体が震えた。 けれど今度は男が朔哉に睨まれ手びくっと身体を震わせ、慌てて部屋を出ていった。 「御稀津(みけつ)朔哉だ。 ここに住んでいる……変わり者だ」 朔哉はなにかを言いかけたけれど、こほんと咳をして誤魔化してしまった。 「いっぱいお家の人がいるんだね」 「まあな。 住んでいるモノは多いが、私はひとりぼっちみたいなものだな」 淋しそうに笑う朔哉が、学校での自分に重なった。 「私と一緒だね。 私、学校でひとりぼっちなんだ。 そうだ、おにいちゃん。 私と友達にならない!?」 「お前と私が友達、……だと?」 私としてはこれ以上ない、いい案だと思っていた。 いまにして思えば、大それた考えだけど。 「ダメ?」 かくんと小首を傾げ再度訊いてみる。 朔哉はうっと、声を詰まらせた。 「ま、まあ、いいだろう」 「やったー」 私は友達ができたとうきうきだったし、黒髪の間からのぞく朔哉の耳も赤くなっていた。 送ってやると朔哉にひょいと抱えられた。 屋敷の敷地を一歩出た途端に、真っ暗な森になる。 朔哉が手のひらを上にしてふーっと息を吹きかけると、ぽっと蒼白い炎が灯った。 「なにこれ? 手品?」 「怖いか?」 「ううん、きれい」 私の返事に、朔哉は嬉しそうにあたまを撫でた。 ふわふわと飛ぶ狐火に取り囲まれて森の中を歩く。 いくらも歩かないうちに人家の灯りが見えるところまできていた。 「ここから先に私は行けない。 ひとりで行けるな?」 「うん」 私を地面に降ろし、視線を合わせるように朔哉はしゃがみ込んだ。 「それから。 私にあったことは誰にも話してはいけない。 約束できるな」 「なんで?」 両親に話して、あとでお礼に来なければいけないに決まっている。 なのに。 「お前が私のことを誰かに話したら、私はお前を殺さなければいけなくなる」 急に低い声で重々しく言われ、思わず喉がごくりと鳴った。 「……うん。 わかった」 気圧されて私が頷くと、さっきまでの恐ろしい空気が一変して朔哉のそこだけしか見えていない口もとが、にっこりと笑う。 「いい子だ。 じゃあ、約束しよう」 「うん」 差し出された小指に自分の小指を絡めて指切りする。 なんだかそれがくすぐったくて嬉しかったけれど、あとからそれがどんなことが知って怖かった。 「いつでも遊びに来い。 歓迎する」 「うん、また遊びに行くね。 ありがとう、お兄ちゃん」 朔哉に背中を押され、一歩踏み出す。 振り返ったときにはもう、朔哉の姿は消えていた。 代わりに。 「おい、心桜ちゃんじゃないのか!?」 「怪我はないか!?」 数歩も歩かないうちに、私を捜していた大人たちに見つかった。 暗くなっても私が帰らないから、幸太の話を元に山狩りをしたらしい。 けれど、山頂まで三十分もかからない小山なのに、いくら探しても見つからない。 山ではなく、人さらいにでも遭ったのではないかと創作方法を切り替えようとしていた矢先、ひょっこりと私が出てきたらしい。 私が見つかって両親は号泣していて、そんなに心配させたのかと驚いた。 おかげで少しだけ、田舎に馴染む努力しようと思えた。 それにこの件で幸太はがっつり絞られたらしく、ちょっとだけおとなしくなったし。 「朔哉ー、頼まれてた本、持ってきたよー」 森の奥へ向かって声をかける。 ――ぽっ。 ぽぽぽぽぽっ。 途端に、まるで私を迎え入れるかのように奥から狐火が灯ってきた。 それを辿っていくと唐突に屋敷の裏へ出る。 待っていた狐の半面に神主さんの普段着のようなものを着た男、宜生さんに伴われて屋敷の中を進む。 私が来たってわかっているから、そこらに人の姿はない。 「よく来たね、心桜」 私が来たのに気づき、朔哉は読んでいた本をパタンと閉じた。 「これ、『ronron(ロンロン)』のシュークリーム。 好きだったよね?」 「美味しいよね、ronronのシュークリーム!」 ぱーっと、お日様が照るみたいに朔哉の顔が輝く。 そういうところ、ほんとに神様なのかなってちょっと疑わしくなっちゃう。 「お茶の準備をしろ。 言わなくてもわかってるだろうが、紅茶だぞ」 「はっ」 短く返事をして部屋を出ていった宜生さんは、忌ま忌ましげにシュークリームの箱と私を面の奥からじろっと睨んだ。 「ごめんね、いつも」 「ううん、朔哉が悪いんじゃないから」 初めて朔哉に会った小二の秋から、十一回目の冬が来た。 外は寒いのに、屋敷の周りは花が咲き乱れ春のようだ。 ひょいっと朔哉に簡単に抱えられてしまうほど小さかった私も、ずいぶん背が伸びた。 いや、いまでも相変わらず、背の高い朔哉に簡単に抱えられてしまうが。 そしてあの日から、朔哉の姿は変わっていない。 その群青と金の瞳も、黒髪も。 白シャツに黒パンツ姿も。 ――二十代半ばの、その見た目すらも。 きっとこのまま私が年をとっても、朔哉はこのまま若々しいままなのだろう。 「あ、これ。 頼まれてた本。 経済学の本なんて難しいもの読むんだね。 やっぱりお稲荷様だから?」 「んー? 商売繁盛のお願いも多いからね。 勉強はしとかないと。 まあそれに、単純に面白いからっていうのもあるけど」 「ふーん」 朔哉は嬉しそうにぱらぱらと受け取った本を捲っている。 その姿は若い学者さんにしか見えない。
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