第1章 狐に嫁入り

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ただしそのときには、周りの人間はもちろん、両親の記憶からは私の存在はきれいさっぱり消えてしまっている。 「……そろそろよろしいですか」 「はい」 宜生さんに声をかけられ、立ち上がる。 「元気でね。 もう私たちにはなにもできないんだから」 「うん、お母さんも元気でね」 「ふん。 お前などいなくなって清々する」 私の手を心配そうに掴む母の目も、強がって憎まれ口を叩く父の目も、涙で赤くなっていた。 「いなくなったら淋しがるくせに」 「……うるさい」 出てきた涙を拭い、無理矢理でも笑ってみせる。 「じゃあ、行くね」 「ああ、元気で」 お父さん、お母さん。 最後のわがままを聞いてくれてありがとう。 私、絶対に幸せになるから。 だから、心配しないで。 最後に、いままでの感謝を込めて、両親へ深くあたまを下げた。 「あら、雨ね」 空を見上げた母の声つられて私も見上げる。 眩しいくらいの晴天なのに、しとしとと雨が降っていた。 「本当に狐の嫁入りだな」 苦笑いの父に私も苦笑いしかできない。 「幸せになれよ」 「はい」 空元気でもいいので精一杯明るく笑う。 父も母も笑ってくれた。 介添えの女性に手を取られ、狐面の人たちの列に入る。 最後にもう一度、両親を振り返った。 目のあった父が促すように短く頷く。 私も頷き返して一歩踏み出した。 これでもう二度と、両親に会うことはない。 狐の半面を着けた、和装の花嫁行列は雨の中、粛々と進んでいく。 不思議と濡れなかったがそういうのものなのだろう。 日の光に雨粒がキラキラと踊り輝く。 空には虹まで出ていた。 まるで私のこの先を、祝福するかのように。 いつもは森を抜けなければならないのに、今日は一本道だった。 これも神の力なのだろうか。 「心桜」 案内された神殿では、紋付き袴姿の朔哉が待っていた。 「本当にありがとう」 私の手を朔哉がぎゅっと握る。 おかげで恐怖は少し、薄らいだ。 彼に伴われて祭壇の前に並んで立つ。 私に注がれる好奇と嫌悪の視線。 この中で狐面を着けていないのは私ただひとり。 完全にアウェイだが、ここでやっていくと決めたのだ。 「緊張してる?」 小さく頷いたら、朔哉がまた手をぎゅっと握ってくれた。 「私は心桜を幸せにするよ。 これは、心桜に誓うから」 朔哉が私から手を離し、厳かに式がはじまる。 ずっと朔哉と一緒にいると誓った。 どんな困難だって打ち勝ってみせる。 私は今日――お稲荷様の妻になる。
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