第2章 神様の妻はセレブでした

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「あとこれ」 するりと空中から出したそれを、朔哉は袴の紐に結びつけた。 「……鈴?」 五つほどの小ぶりな鈴が束になったそれは、私が動くたびにチリンチリンとうるさく鳴る。 「心桜には悪いんだけど。 心桜がここにいますよー、って目印。 もし不用意に面を着けていない誰かに会っちゃうと困るから」 「……そっか」 猫の鈴みたいであまりいい気はしないけれど。 私がここで暮らしていくには必要なものだ。 仕方ない。 「朝ごはん食べたら屋敷の中を案内するよ。 前は応接室とご不浄くらいしか行けなかったからね。 それで、午後から倉稲魂命(うかのみたまのみこと)様と天照大御神(あまてらすおおみかみ)様にご挨拶に行くからね」 朔哉に連れられて屋敷の中を歩く。 私が歩くたびにチリンチリンと騒がしい音がした。 「ひぃっ!」 「うわっ!」 先々で、人々が逃げ惑う。 それはあまりいい気はしないけれど、彼らにとってはもし顔を見られたら消滅の危機なのだ。 いくら面を着けていても安心できないだろうし、仕方ない。 「きゃーっ!」 目の前を、子狐が必死に逃げているが、距離は広まるどころか縮まっていく。 直衣姿でてとてとと二本足で歩いている姿は、非常に可愛いくて微笑ましく、ついつい顔が綻んでしまう。 しかも、ふさふさと尻尾が目の前で揺れると、モフモフしたくなる。 ――ビタン! とうとう子狐は目の前で――こけた。 「大丈夫!?」 子狐はなかなか立ち上がらない。 もしかして、打ち所が悪かったのかな。 しゃがんで手を貸してあげたものの。 「く、く、食われるー!」 ぎゃーっと泣き声を上げたかと思ったら完全に狐に変化し、子狐は四つ足で逃走していった……。 「よっぽど心桜が怖いんだろうね」 お腹を抱え、朔哉は可笑しそうにくすくす笑っている。 「……食べたりしないのに」 朔哉が差し出してくれた手に自分の手をのせて立ち上がりながら、ついつい唇を尖らせていた。 「きっとそのうち慣れるよ」 「……だと、いいんだけど」 いつか、ここの人たちと打ち解けられる日はくるんだろうか。 ううん、いつか、打ち解けてみせる。 「さ、食べようか」 食堂もテーブルに椅子だった。 朝食は旅館の朝ごはんのような和食だったけど。 「朔哉、私はここで、なにをしたらいいの?」 「ん? 別になにもしなくていいよ。 心桜は私の傍にいてくれるだけでいいんだから。 多少の不自由はあるだろうけど、心桜の好きにしたらいい」 「はぁ……」 本当にそれでいいんだろうか。 それってなんか、落ち着かないな……。 「炊事とか洗濯とかしなくていいの?」 「心桜が?」 さぞ不思議なものでも見るかのように、面の奥で朔哉が二、三度まばたきをした。 「そんなの、眷属のモノたちがやるから、心桜はしなくていいよ」 「いや、そういうわけには……」 これってあれか? セレブの奥様的立場なのか? 確かに、神様の朔哉はセレブといえばセレブなんだろうけど。 そういや、セレブの奥様っていったいなにをやっているんだろう。 謎だ。 「じゃあ、朔哉のお仕事のお手伝い、とか」 「私の手伝い?」 また、朔哉がぱちぱちとまばたきをする。 そんなにさっきから私は、変なことを聞いているだろうか。 「心桜が手伝ってくれたら張り切ってしまうけど、できることはないね」 「そう、なんだ……」 ううっ、いよいよ私、ニート生活突入だよ……。 朝食が終わって朔哉は屋敷の中を案内してくれた。 「ここが書庫。 といってもこっちには、最近の書物ばかり入れてある。 心桜も欲しいものがあったら言ってね。 買ってこさせるから。 でも希望通りにいくかはわからないけど」 ははっ、朔哉の口から乾いた笑いが落ちる。 だから私に、お遣い頼んでいたくらいだもんね。 書棚の中には大手週刊少年まんがから出ているコミックスなんかも並んでいる。 巻数がときどき飛んでいるのが惜しいけど。 「ここが電気の部屋ってみんな呼ぶけど。 AVルームだね。 オンデマンドも整備したから、映画もドラマも観られるよ」 どうやって持ち込んだのか、家電店の店頭でくらいしか見ないような大型テレビが置いてあった。 スピーカーも立派なものが備え付けてある。 「それでここが、魔の部屋と呼ばれている、パソコンルーム。 私の書斎も兼ねているけど。 もちろん、インターネットも繋がっているし、心桜も使っていいよ」 そこのパソコンは、マニアのように複数モニターになっていた。 いや、さっきから思っていたけどさ。 人間の世界を捨てろなんていっていた割に、俗世にまみれていないかい? 「なんか凄い、人間っぽいんだね……」 「今時の神様はこれくらい、標準だよ? なんていったって人間のお願いを聞くのが仕事なんだから。 人間のことを知らなければならない」 「そうなんだ……」 知らなかった。 神様がこんなに、最先端をいっているなんて。 「あ、でも、うちの者たちは理解が薄くてさー。 いまでも昔ながらに拘っているんだよね」 どおりで、電気部屋だとか魔の部屋だとか。 それでもってそういう具合だから、お遣いが上手くいかないんだ。 「で。 心桜が自由に動き回っていいのはここまで」 「……はい?」 たぶん、広大な屋敷の、四分の一くらいしか案内してもらっていないと思う。 なのにここまで、とは? 「突然、心桜が現れたらみんな困るだろ。 だから、悪いけど心桜の行動範囲を制限させてもらう」 「ああ、そういう……」 ようするに、この鈴と同じなのだ。 私がどこにいるか、明確にしておかないとみんなが困る。 なら、仕方がないのだ。 「なにかあったら宜生か環生を呼んで。 すぐに行くから」 「わかった」 「それで今日は特別に、お社の方も案内するよ」 朔哉に伴われて屋敷を出る。 少しだけ歩いて、式を挙げた神社の前に来た。 「元々はこっちが、母屋なんだ。 でも使い勝手が悪いだろ。 だから、離れを建てたんだ」 部屋ってものがあまりないこっちの建物は、暮らしにくそうだった。 格式は高そうだったけど。 「仕事はもちろん、祭事もこっちでやってる。 祈りが届くのはここだからね」 いわゆる拝殿の場所には机が並べてあり、多くの人がなにかを記載していた。 「あれってなにをやってるの?」 「ああ、あれ? 神社に来てお願いをするだろ? その声があそこに届くんだ。 それを、書き留める仕事」 「それって私にもできないかな」 聞いた内容を書き留めるだけだったら、私にだってできるかもしれない。 ちょっと期待したものの。 「心桜には無理。 お願いを聞くには能力が必要なんだ。 だから、選ばれた眷属にしかできない」 「そうなんだ……」 せっかく、私にもできそうなものがあったと思ったのに、がっかり。 やっぱり私が人間だから、できないことの方が多いのかな……。 「なんでそんなに落ち込むの? 心桜はいてくれるだけでいいんだって」 「でも……」
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