薔薇の茶会

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 ゆっくりとナディアの顔が再びこちらに向けられた瞬間、思わず息を飲んだ。  漆黒の瞳の片方からは透き通った粒が流れ落ちていく所だった。 「死んだ父はよく言った。祖国の宮殿にいた頃、自由な平民の身に生まれたかったと幾度嘆いたか知れない、と」  言葉に反してナディアはおっとりした優しい口調で語る。  私は会ったことのない「ワラキア最後の国王」は恐らくそうした物腰の人だったのだろう。 「祖国を追われ、もう王ではなくなったが、どこへ行っても好奇や憎悪、あるいは畏怖の目に囲まれる」  オレンジ色の街灯の光が亡命の王女の顔を一瞬、カッと燃やすように照らし出してまた薄闇に沈む。 「玉座を降ろされても、死ぬまでまっさらな平民の身になどなれはしないのだ、と」  ナディアは黒い断髪の頭を静かに振った。 「先の国王陛下は、父の亡骸を特例でこの国の王室ゆかりの墓地には入れてくれたけれど」  ゴーッと深く水に潜るのに似た音が鳴り響いてきて、トンネルに入ったと知れた。
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