希滅念慮拗らせて樹海に入ったら神隠しに遭った話

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 仔細は省略する。  熟々(つくづく)、わたしは生きていることにうんざりし、捨て鉢気分で自殺の名所と云われる樹海を訪れた。  自殺の名所と云っても、看板が出ているわけでもない。近場の売店で首吊縄(くびつりなわ)や、穏やかに死ねる薬や、切腹用の装束や道具一式を売っていたり貸し出したりしているわけでもない。単に鬱蒼とした、人気(ひとけ)の無い雑木林が字面(じづら)通り野放図に広がり、公道沿いからでも10分も歩けば、原始の森叢(しんそう)に浸りきれるだけである。  来る前にネットで調べたが、年間を通しても、ここで見つかる自殺死体の数は、両手足の指の数にも足らない程度らしい。名所とはなんだったのか? 毎年2万人強の自殺者が出続けているにも関わらず、その0.1%にも満たない数値とは、あまりに情けない話ではないか。  いや、メッカ巡礼のように自殺志望者が(ひし)めき合っているところで死にたいという話ではない。  (むし)ろそういった人いきれで()せ返りそうなところは願い下げである。そう考えれば、「自殺の名所」と謳われながらも年間20体程度しか自殺死体の見つからない、森閑な空間というのは、(あなが)ち「自殺の名所」と掲げるに、十分な素質があるのではなかろうか。来訪者に対する配慮の行き届いた、心憎い演出と云えよう。  取り留めも無くそんなことを考えながら、わたしは樹海を歩き続けた。  足元は当然不整地なので、歩くだけでも疲れてくる。まだ肌寒い季節だと云うのに、汗が噴き出してくる。  都市伝説によると、この樹海には自殺志望者を餌食とする殺人嗜好者も徘徊しているそうだが、きっとそいつは相当タフな輩だろう。追い回されて、逃げ切れるとは思えない。  わたしは厭世(えんせい)(こじ)らせて自殺の名所くんだりまで来たのではあるが、殺されたいと思って来たわけではない。  痛いのは嫌だし、ツラかったり苦しい死に方をするのも嫌なのである。更に云えば、疲れるのも嫌だ。なので、既に嫌気が差し始めている。  そういう訳なので、自殺のための確固たる意志というものは無いし、それゆえ、自殺の用意等も一切持って来ていない。ここへ来て早々に売店を探したのも、あわよくば首吊縄や、穏やかに死ねる薬や、切腹用の装束や道具一式の販売や貸し出しがあれば、最期に経済をチイっとばかり動かすのに貢献してやっても(やぶさ)かではない、程度の気分だったからである。貢献するとすれば、穏やかに死ねる薬一度だが。  閑話休題(それはさておき)。  樹海へ入り、公道が見えなくなってから、かれこれ小一時間くらいは歩き通しているだろう。歩き続けることにもうんざりしてきてはいるが、今更引き返すのも、せっかく深入りしたので名残惜しい。  せっかく、小一時間も歩き続けたのである。  「小一時間」という微妙な表現に拘泥しているのは、正確な時間が判らないからだ。  自死に臨んでまで、時間に縛られるのは御免だと、腕時計も携帯電話も家に置いて来た。樹海までは最寄りの駅から延々歩いてきたので、その分も含めると3時間ぐらい歩き続けていることになる。なおさら、引き返すのがもったいなくなった。  半ばうんざり、半ば途方に暮れて、わたしは歩き続けた。  木の根が無秩序に織り乱れた地面は接地性が悪く、大股で歩けばすっ転びそうだ。青く()した苔も、毛足の長い絨毯のような踏み心地だが、じっとりと水気を湛え、油断すると滑りそうになる。  日も随分陰り始め、雨こそ降り出してはいないものの、曇天低く暗雲は垂れ込めてきた。  いよいようんざりしつつ踏み出した瞬間、支点となっていた足元が崩れる感覚がした。
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