愛の原点

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愛の原点

 兄の最期の言葉は俺の薄汚れた心を漂白してくれた。  俺は百年後を見据えて生きることにした。今日明日の生活を盛ることに神経をすり減らすことは徒労だ。自分をよく見せる必要はない。自分が為すべきことは何か、自分に為し得ることは何か。  まず、日々の治療に関して俺は態度を一変した。アトピーに苦しむ子どもの治療に正面切って取り組む気のない親には恫喝した。高齢の親に付き添って来た娘が親をさげすむような言葉を吐くので、俺はストレートに諫めた。自分のエゴを正当化し、家族の苦痛に無頓着な人間には、それが如何に恥ずかしいことか、情けないことか、知らせることも治療のうちだと思った。  時に病気は本人だけの問題では済まされない。親や家族全体の生活習慣や精神的傾向が大きく起因する場合もある。子どもは親を選べない。様々な要因を積み重ねた結果としての不調。様々な努力を積み重ねた結果としての回復である。  深刻な症状は真剣に取り組む必要がある。金さえ払ったら医者が治すという考えでは治るものも治らない。素晴らしい教師に預けておけば子どもが皆同じように育つという訳じゃないのと一緒だ。どんな助けを借りるにせよ、基本は家族や周囲の愛情だろう。愛こそ免疫力を高める最高の処方箋だ。  勘違いしている患者やその家族に、それは勘違いだと言う。誤解していれば誤解だと言う。間違っていれば間違いを正し、人間の道理を知らないなら知らせるのが治療の始まりだと考えた。  怖がる患者もいた。来なくなる患者もいた。だが、しっかり理解してくれる人、共感してくれる人も少しづつ増えて来た。  母は俺の急変を畏れた。くどくどした説教をしなくなった。看護師たちは、むしろ俺を応援してくれた。 「先生がハッキリ言ってくれてスッキリしました!」 と何度か言われた。  自分がどう思われるか気にならなくなった。天狗になったつもりはない。真剣勝負しようと思っているだけだ。 『ま、イイか。』 という生き方をしていれば 『ま、イイか。』 という仕事しか出来ず 『ま、イイか。』 という結果しか残せない。  俺に乗り移った兄貴に、そんなことでは申し訳がたたない。 『やり過ぎだ!』 と言われるくらいでいい。その方が何故か疲れないこともわかった。  以前、地獄のように苦しかったのは、言いたいことを言わず、やりたいことをせず、目先の愛情に捕らわれ、人に振り回されていたからだ。    そんなものは愛情でも何でもない。本当の愛情は他人の言葉や態度で左右されるものじゃない。  愛とは、自分の骨や血や肉が生まれつき持っている自然の摂理だ。命の摂理に素直になること。命の営みを大切にすること。それが愛の原点じゃないのか。百年後も変わらない愛の原点じゃないのか。
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