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ため息
さて。リアルタイムにワープ!
昨日、仕事を終わらせ遅い夕食を済ませた時、母親が思い詰めた表情で言った。
「できるだけ朝から出勤してほしい。看護師も患者も、あなたがいる時といない時では、まったく違う。あなたがいるだけで空気が明るくなる。みんな安心して、みんな明るくなる。あなたがいないと、みんな不安で空気が重苦しく淀む。」
「母さんの気のせいじゃないか? コロナ騒ぎで、みんな疲れてるだけじゃないか?」
「残念ながら、そうではない。私は今にも何か大きなミスをするんじゃないか、自分で自分が不安なんだ。お父さんの築いた信頼や名誉を傷つけるようなことはしたくない。そう思って緊張して頑張って来たけれど、目も悪くなってるし集中力も長続きしない。肝心なことを忘れているのではないか、知らず知らずミスを犯していないか、常にハラハラしている。もう限界だと思う。大きくても小さくてもミスする前に、茗荷皮膚科医院としての信用を傷つける前に、なんとか助けてほしい。私にもできそうな仕事は続けるから。あなたの負担が増えて申し訳ないと思うけど、頼れる人はあなたしかいないんだから。」
俺はため息もつけなかった。母の気持ちは痛いほど感じていた。言おうとしていることの言葉になってない部分までも理解はできる。
だが・・だが・・だが・・・
俺は、たとえ親子であろうと、情に溺れてお互いを甘やかすことはしたくない。感情的に非難することも批評することも決して望まない。
こうした窮地に立たされると兄の言葉が鼓動と共に俺の中に広がってくる。
『人を憐むな。新しいことを考えろ。』
母の気持ちに寄り添い、母の思い通りにすることは最良の選択と言えるだろうか。
もし仮に、母ではなく父だったら、今、生き残っているのが父で、父が俺にそう言ったとしたら、俺は多分、二つ返事で
『はい。わかりました。』
と言うだろう。
男は考えた末の結論を吐く。特にも父は思慮深く物知りで、地元住民から
『歩く百科事典』
『生き神さま』
などと親しまれ信頼されていた。
父に限らず男は、思いつきで大きな決断はしない。語らない。
考えて考えて考えた末に、結局は言葉にしないことの方が多いのが男だ。
その考えて考えて考えてることを
「くっそー!俺だって考えてるんだー!」
という心の叫びを小説にしたりするんだ。
だが女性は少し違う。
俺はホストクラブで様々な感性を持つ知的な女性と接して体得したことがある。
女性の多くは自らの主張を受け止めて欲しいにもかかわらず、ただ素直に受け止められることを実は望んではいない。
『わかります。とてもよくわかります。』
と心から共感した上で
『もしかすると・・・』
『きっと・・・』
と、謙虚に言葉を継ぐ。心ときめく思いがけない言葉が、次にささやかれるのを期待しているのだから。具体的な相談事なら、なおのこと、プラスアルファな新鮮な提案が示されることを少女のようなキラキラの心で待ち望んでいるのだから。
プライドや切なさから言葉にできない迷いの奥にうごめくモヤモヤした神経のもつれを、静かに和らげ解きほぐすような具体的な提言や提案を切望しているのだ。
素直に従うだけの男、肯定するだけの男には物足りなさを感じ、かと言って、身勝手な男の論理で女性の繊細な感性を踏みにじるような野蛮で豪快な意見は求めていないのだ。
現状では何が真実か、ではない。
明日にあるべき真実は何かを、女性は夢見て追い求め、それが何かわからないなりに、とりあえず言葉にしてくれる。
とりあえず言葉にすることは大切なこと。ダイヤの原石のような言葉を磨いて繋ぐことで大きな価値ある何かが生まれることもある。
美しい人の美しい夢を実現するため、悪戦苦闘するのが男だ。愛する女性に最高の笑顔を咲かせたいために、試行錯誤してジタバタする時間も俺は嫌いじゃない。
俺は母に言った。
「できるだけ、その方向で努力する。できるだけ・・・ということで少し時間をくれないか? 急に今の生活パターンを変えるのは難しいんだ。」
母は繰り返して言った。
「あなたの明るい笑い声が響くだけで、みんなの心が明るくなる。年取った私の声では院内の空気が重く暗くなる。」
「俺、そんな明るい声で笑ってるかな?」
俺は、自分が明るく笑っているという自覚はなかった。自由に言いたいことを言い、自然体で過ごしているとは思うが。
「よく笑ってるでしょ?誰にでも楽しそうに話しかけて元気に笑ってるでしょう。そういう雰囲気が大事なんだ。それだけで患者さんは、また来ようと思うものなんだ。最近は、あなたがいないと帰ってしまう患者さんもいる。悲しいけど・・・嬉しい事でもある。もう冴月の時代だから。頼むわ。」
俺は、自分の自慢をしようと思って母の言葉を書き込んだ訳じゃない。母は俺の母だから、そう思い、そう言って、俺を何とか前面に押し立てようとしているのだ。
正直なところ、俺には非常に痛い言葉でしかない。少しも嬉しくなく、むしろ辛い聞きたくない言葉だった。心から悲しかった。
誰もが年を取る。それまでできていたことが難しくなり、できなくなる。だが、それだけだろうか?年齢を重ねるということの美徳だってあるはずだろう?
それまでできなかった何かが、できるようにはならないのか?
それまで難しく思われた壁を易々と超えられるようにならないのか?
俺は密かに、母なら、うまくやれば日野原先生の年まで第一線で仕事できるのではないかと期待している。何とか励ましながら、無理させないように配慮しながら、仕事への情熱と誇りを盛り立てる方向で応援したいのだ。
父を失い兄を失った今、母の生き様は俺の未来への道標にもなる。年を重ねる事でしか成し得ない新たな境地を開拓して欲しいのだ。これでもか、と見せつけて欲しいのだ。
そうは言っても母を含め女性に弱い俺は、きっと母の嘆願に応えるだろう。そうしながら母にしかできない役割を探し、きっと、おだててでも木に登らせてみせる。小説を書くように、現実の生き様を、共に生きる人々の生き様を、より美しく演出してこそのアーティストだろうと思う。
小説を書くスピードは落ちるだろうが、書き続けたいとは思う。
誰もが一生懸命、生きるため生活のために仕事をしながら、コツコツ、ちまちまと分断された思考回路をツギハギ組み合わせながら自分の哲学を積み上げていく。
膨大な自由があるからといって際立つ閃きが星のように降ることはない。
時間じゃない。気迫だ。情熱だ。
ヘトヘトに疲れた真夜中に見上げる月の美しさは一瞬で魂を洗ってくれる。
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