103人が本棚に入れています
本棚に追加
粋《いき》
ミツルのお別れ会に集まった人々は、皆、喪服だった。もちろん俺も喪服を着て行った。親しくしていたミツルの介護ヘルバーさんに
「あれ?いつものオシャレな服じゃないから誰か気づかなかった!」
と言われた。
喪服のスーツも実は何着かあって、自分的には亡くなった方の年齢や立場に合わせて選んでいる。今回は友人なので、かしこまった重厚な喪服ではなく、細身のスーツにした。
例え喪服でも、細かいところでチョッとカッコつけたいという自分の嗜好について、喪服を着るたびに悩ましく感じたりする。
普段は介護ヘルパーさんが言うように、どこに出かける場合も服装に気を遣う。ブランドにはこだわらないが、自分のモチベーションを最大限に引き出すために俺はオシャレに関しては妥協できない。他の大概のことは妥協だらけなのに。
俺の崇拝するショパンも病気が悪化し体力が衰えても、身だしなみには相当のこだわりを持ち続けたらしいが、同感である。
人は見かけによる・・・というのが俺の本音でもある。顔の表情に生き様が表れているように、身だしなみにも生き様を感じる。体型にも髪型にも眼鏡にも靴にもハンカチにも時計にも、人間性が垣間見える。清潔感、立った姿勢、歩き方や靴の音、話し方、目の動き、ちょっとした仕草にも、人としての風情がにじみ出る。言葉や文章にも人の魅力や品位が表現されている。
それにしてはお前は下品だろう!と一喝されるような作品ばかり書いている。
俺は品行方正ということが非常に苦手な人間だ。オシャレにしても、スッキリと上品で紳士的なラインを目指すことはできない。どことなく粋な感じを狙ってしまう。王様や王子様ではなく、街角の遊び人でありたい。ピエロでありたい。謎の風来坊でありたい。しかも、ちょっとイタいくらいがイイ。人から立派な人と尊敬されたくない。どことなく隙だらけで、ろくでもない困った野郎と思われるくらいが心地よい。
そう考える理由は一言では書き表せないので、数々の駄作の中で、だらしないヒーローやヒロインの生き様と重ね合わせて表現している。
話を元に戻すと、たとえ喪服を着て出かける心痛な時にも、どうしてもオシャレ心を捨て去ることができない自分について、いつも非常に困惑する。こんな時まで、なぜ俺はオシャレしようと気をもむのか。
地元の葬儀などは大勢の人が集まるのだから、喪服でさえあれば何でもよさそうなものだ。しかし、そうはいかない。大勢の人に出会うからこそカッコつけたいのだ。粋に、スカッとしていたい。
困ったものだ。服でオシャレする余裕があったら、教養で精神的にオシャレな哲学でもした方がいいと、エブリスタの作家さんたちは思うだろう。
俺はミツルのような真っ直ぐな誠実な賢明な生き方は、初めからできない。俺が先頭になって歩こうとしている道があるとすれば、人間に生まれた以上、恥も外聞もなく、すべての享楽や快楽を、知的にも感覚的にも、文化的にも野生的にも味わい尽くす道だ。
実際の体力と時間には限りがある。せめて小説の中で、思う存分、命の炎を燃やし、叫び、暴れてみたいのだ。
最初のコメントを投稿しよう!