孤独フェチ

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孤独フェチ

 いつも家に帰る前に、実家でピアノを練習する。実家のピアノは何時に弾いても誰にも聞こえない部屋にある。母が眠ってから弾いても安心だ。  普段は自分の好きな曲を弾いている。ショパンの曲ばかりなので、たまに聞きに来る母は『雨だれ』『別れの歌』など有名なメロディーしか知らないため、つまらないらしかった。  最近、妙に寂しがる母は昨夜 「美空ひばりの『川の流れのように』と『愛燦燦』を弾いて欲しい」 と急に言い出した。テキトーに弾いたら合わせて歌っている。 「森繁久彌の『知床旅情』と坂本九の『見上げてごらん夜の星を』も歌ってみたい」 と言う。  何曲か歌ううち母はどこかから文部省唱歌の楽譜を持ち出してきてパラパラめくり気が向いた歌を見つけては 「この歌、ちょっと弾いてみて・・」 と今さら遠慮がちに言いつつ、弾けば歌い出し、結局、『歌を忘れたカナリヤ』『からたちの花』『叱られて』等、30分ほど生ピアノ伴奏でカラオケ練習となる。キーをどの高さから始めても音域の広い歌は難しいらしく、母の歌に合わせて途中から変調を繰り返す。  歌にまつわる思い出話など聞かされ、なんだか今夜はもうショパンを弾く気分ではないので帰ることにした。たまには親孝行もやむを得ない。  兄は生前、病院でよく演奏をしていた。持ち運びできる軽い電子ピアノを希望する患者さんの病室まで運んで。眼科の入院患者さんは目が不自由なため静かなピアノ曲には心を癒されたかもしれない。  俺も真似してみようと思い、以前、東京の病院では歌謡曲、映画音楽、ポップス、ジブリ、ディズニー、ジャズなどの曲を、ホスト時代に戻った気分で弾いていた。今で言えばYouTuberが街角ピアノ等で演奏する感じだろうか。  だが、今の医院は入院設備もなく俺自体が忙しくピアノどころではない。  夜中、すべての仕事を終えて、自分のためだけに好きな曲を好きなように弾くことが、俺の魂の自慰行為だ。俺は多分、その時間を確保したいがために、結婚さえしたくないのだと思う。弾き始めると2時間3時間あっという間に過ぎる。弾けない日は、まさに欲求不満に陥る。  同じ曲が耳に入るにしても、誰かが弾くピアノを聴くのと自分が弾くのとでは全く違う。使う神経回路が違うのだ。スポーツしている動画を見ても運動にならないのと同じだ。    究極のナルシストかもしれない。自分のために小説を書き、自分のために絵を描き、自分のためにピアノを弾いて、自分のために山に登り、自分のためにスキーや自転車に乗り、走り、泳ぎ、歩く。  たまには気心の知れた友だちと出かけるが日々忙しく旅の計画など人と相談する余裕がない。旅する余裕もそうそうない。  自分一人なら、天気を見て気まぐれに登山したり、登山の途中で引き返したり、急に湖で泳いだり、自転車を止めて走り始めても勝手だ。夜中まで走り、突如閃きがあれば絵を描き、朝まで小説を読もうと書こうと自由だ。  兄が死んだ時、俺は思った。自分が死ぬ時は、誰にも惜しまれず孤独に去りたい。人を愛すればこそだ。愛が深ければ深いだけ別れは地獄だ。  俺は孤独がいい。
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