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病院からタクシーで自宅に帰る。平家の一軒家にある些細な庭には私の植えた松葉牡丹がちらちらと顔を出す。雨続きでよかった。
一か月ぶりの自宅は何も変わらない。
居間からは賑やかなテレビの音に相まって複数の笑う声が聞こえる。
その横を通り抜け、奥へ進めると明かりのささない暗い廊下の突き当たり。扉の前に古びた犬用の皿が置いてある。数枚のお札。いつも通りの2万円。これは私の生活費である。旦那かお嫁さんが毎月16日に置きにくるらしい。
いつからこうなったのかは今さら思い出せない。おそらく、私の貯金額を旦那が知った時だと思う。孫も二人増え、家のリフォームができると喜ぶ旦那たちにこれは老後の資金だから渡さないと言ったからだ。居間に顔を出せば睨まれ、いつの間かいない存在扱い。
食事も自分の分だけ用意されなくなり、孫たちにも毛嫌いされた。
このお金は旦那と二人で生きていくために必死で70まで働き、貯めてきたもの。チラシを見ては羨ましがった旅行も行きたかった。美味しいバイキングプランというバス旅行にも行ってみたかった。着飾るアクセサリーもほしかった。全部ぜんぶ我慢の繰り返し。
リフォームをするために大変な思いをしたわけじゃない。
このお金は私のために使う。
部屋に篭るとメールの彼に一喜一憂を楽しむ日々が続いた。
『助けて』
彼は困っているという。
車をぶつけて示談金で30万円必要になった。私はすぐにコンビニに向かい、言われたカードを買い、番号を知らせる。
翌日、もっと必要になったという。再び同じように50万円分買った。
喜んでくれたことが嬉しかった。
私に幸せを唯一くれる人。
貯金も底をつき、信販会社のカードを使うようになった。
請求書に驚いた家族が私を部屋から引き摺り出し、居間へ連れて行く。
何年ぶりの居間は知らないものばかりでどうにも落ち着かない。
『どういうことだ』
どうしてそんなに声を荒げるの。
『こんな大金どうしたって聞いてるんだ』
幸せになるの、私。
幸せになりたいの、私。
『勘弁してくれよ。このまま死なれたら保証人の俺に全額請求くるじゃん』
『おい、隠してる貯金出せ』
『そうよ、早く出して』
『部屋、見てくる』
『絶対見つけ出してやるからな』
あと少しで私は幸せになるのよ。
邪魔しないで。
飛沫に染まる携帯電話の画面に新着メール。
『あなたと生きていくためにはあと100万円必要になる。お願いできるかな?』
ああ……幸せってとても遠いのね。
それでも私は幸せになるの
と、願い眠る。
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