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episode0 プロローグ
「ねえ、やっぱり帰ろうよ」
「うるさい」
午後五時頃の東京。夕日が街に差し込んだ。
その橙色の光はランドセルを背負った小学生、水無鈴と八柳佑太の元にも届く。交差点の信号待ちのようで、何やら言い合いをしている。
「帰ろうってば」
今、青に変わった信号を渡ろうとしている佑太をなんとか止めようと鈴はぐいっと袖を引っ張った。
「見つけるまで帰らないって言ってるだろ」
既に渡り始めていた横断歩道を足止めされ、つい苛立った佑太は掴まれた袖を思いきり振りほどいてしまった。うしろで「きゃっ」と小さく聞こえたかと思うと、今度はどすっと尻餅をついた音がした。
佑太はしまったと思い、鈴の元に駆け寄ろうとしたが人の波が押し寄せてくる。自分よりも身長の大きい大人たちや制服を着た高校生の間をなんとか縫って行くと鈴がランドセルを背負い直しているのが見えた。
「すず!」
名前を呼んだが、当の本人はこちらを見ずに下唇をきゅっと噛んだままうつむいている。それから、佑太に対して横を向いているのが少し気になった。痛さで声も出ないのかと焦り、やっと鈴のところまで辿り着いた。
「すず、ごめんな。痛かったか」
「違う」
ぶんぶんとうつむいたまま首を横に振る。そのまま何も言わずにだんまりだ。どういうことか詳しく聞こうとした佑太より先に、上から別の声が降ってきた。
「あれ? もしかしてお友達かなあ。まあこの際、君でもいいや」
ばっと顔をあげてみると、首やら腕やらにじゃらじゃらとアクセサリーをつけて変ににやにやしている男が立っている。ワイシャツとジャケットはどことなくだらしなく、気崩しているようだ。
このやたらと間延びした嫌味な言い方に佑太は一瞬ひるんだ。
「な、なんですか」
「そこのちっちゃい子が俺にぶつかってきたんだけどさァ。そしたら、俺が飲んでたコーヒーが零れちゃったんだよねえ」
言われてみると、そのじゃらじゃらしたブレスレットの延長線上にコンビニで買ったとみられる紙コップが佑太の目に映った。男の白いワイシャツにわずかだが飛沫のようなあとが見える。
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