第二章 星を眺める

1/1
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/3ページ

第二章 星を眺める

 この修道院に入って数年が経った。私も晴れて修道士となる事ができた。修道士になって数年は見習いの時にやっていた葡萄畑の世話を続けるけれども、その時期を過ぎた今、私に担うべき役割が与えられる。それは一体何であるか、司教様の言葉を待つ。  言い渡された役割はこう言うものだった。 「ヨハネ、君は非常に有能だ。 その能力を生かすために薬学をやらせるべきか天文学をやらせるべきか、我々で話合った。結果として、君には天文学を任せたい」  アマリヤさんと同じ仕事が出来る。この事に心が躍った。  私に天文学を任せる事にした決定的な理由は、現在天文学を一手に引き受けているアマリヤさんの話に付いていける者が私一人だという事実からだそうだ。  確かに、アマリヤさんは他の人に物事を説明するのが苦手な部分がある。今までにアマリヤさんが書いた天文書は学会に持ち込まれこそしていたものの、アマリヤさん本人が学会に出ることはなく、ただ本だけがその場にいる学者達、アマリヤさんの理論を読み取って理解することができるほど優れた者だけが本を読み、本人不在のまま議論を戦わせていたそうだ。もっとも、議論を戦わせていたというのは伝聞なので、実際にアマリヤさんの本がどう扱われていたかは私の知るところでは無いのだけれど。  なにはともあれ、私はアマリヤさんと共に天文の研究をすることになった。アマリヤさんの知識と知恵に追いつけるかどうか、私にはまだわからないけれども、共に同じものを追えるのは、少なくとも私にとってはしあわせなことだった。  修道士になって数年。夜になるとアマリヤさんと共に畑の側の開けたところで、夜のうちに何度も望遠鏡を覗き込んで星空を眺める日々を過ごした。星を見て、ランタンで照らされたノートに星の位置を記録していく。星の位置は毎日少しずつ動いていって、アマリヤさんはその動きに夢中になっていた。  外での観測は、夏の日でも夜になれば冷え込むので容易いことではない。星の位置を記録した後は、アマリヤさんが設置したというプラネタリウムのある研究室で、熱い珈琲を飲む。少し暖まったら、星の動きから分析して、星の動きを読むための計算式の考察をしたり、それを証明するための論文を書いたりする。それらは何度も検討されて、何度も書きなおされる。こんな大変な事は、誰かに指摘してもらいながらでないと難しいだろう。私はそう感じたけれども、アマリヤさんは私がここに来る何年も前から、これをひとりでやっていたのだ。  まさに天才だ。私はそう思った。  私が観測結果をまとめる目の前で、アマリヤさんは机に向かい、厳しい表情でノートにペンを走らせ、時折手を止める。その表情は、私以外の人の前では決して見せない物だ。私は、はじめアマリヤさんの厳しい表情が恐かった。その表情をそのまま自分に向けられたら、叱責されると思ったのだ。けれどもそれは杞憂だった。 「アマリヤさん」  私が声を掛けると、アマリヤさんは瞬きをして、私の方を向く。 「どうしました?」  そう言うアマリヤさんの表情は柔らかく、先程までの厳しさは嘘のようだ。  私は手元でまとめた記録をアマリヤさんに差し出して言う。 「先程の記録がまとまりました」 「あ、ありがとー」  にっこりと笑うアマリヤさんを見て、安らぎを覚える。この人の元にいれば、私はしあわせでいられるのだと、その度に思う。  アマリヤさんが書いていたノートを私の方へ向け、意見を求めてくる。そのノートに書かれた図と文を見て、私は頭を悩ませる。地球を中心として他の星々が回っているという前提で星の動きを計算するには、惑星ごとに煩雑な式が必要になる。エカントという概念を取り入れても、それは一向に解決はされない。しかし、地球ではなく太陽を中心として回っているのであれば、もっとシンプルな計算で成り立つし、星の軌道も簡単な物で辻褄が合うようになる。ノートにはそう書かれていた。 「このプラネタリウム、実は太陽を中心に回るように作ってあるんだけど、これだとスッキリ星の動きがまとまるよね? でも、他の学者が唱える説は、どれも地球中心で、どっちが正しいんだろうって思うんですよね」  アマリヤさんが天井のプラネタリウムを指さしてそう言う。私はアマリヤさんから聞いてはじめて天文学に触れたので、太陽を中心に星が回っているという話にそこまで疑いは持たなかった。神が創ったこの星を中心に世界は回っているという話もわからないではない。けれども、神は複雑怪奇な、理解しがたい世界ではなく、もっとわかりやすく美しい世界を創ったと言うのがアマリヤさんの言い分だった。 「神様は、わざと難しくして人間に意地悪したりしないと思うから」  神様に対する信頼と信仰心。アマリヤさんは確かにそれを強く持っていた。その信仰心に裏付けられた説を少しでも広めるため、私は自分に出来ることをした。共に論文を書いたり、アマリヤさんが書いた本を持って私が学会に出向き、演説と質疑応答に答えたり、その様なことだ。  そういえば、と学会に出たときのことを思いだし、アマリヤさんに言う。 「そういえば、アマリヤさんが書いた天文書が、海を越えた東の国にも持ち込まれているそうですよ」  それを聞いてアマリヤさんはきょとんとする。それもそうだろう。アマリヤさんの高度な理論が、東方の国の人間にわかるはずがない。アマリヤさんもそう思ったのだろう。  しかしアマリヤさんはにっこりと笑ってこう言った。 「東の国の人も、私の本を読んでくれてるんですか? 嬉しいなぁ」 「えっ?」 「私も、東の国の星の話、聞いてみたいです」  無邪気に東の国の星空に思いを馳せるアマリヤさんを見て、顔が熱くなる。アマリヤさんはどこの国のものであろうと、純粋に星が好きなのだ。もしかしたら、この世界全ての星の話を知りたいのだろう。  こんなにも純粋に星を愛するアマリヤさんは余りにも眩しい。なんとしてでも、彼の理論を世に知らしめないと。
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!