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僕は劇団の主宰者。
まだ小さな存在ではあるが、最近では気鋭の表現集団として注目を集めている。
ようやく所属団員に給料を払えるまで成長し勢いに乗っている状況ではあるが、この躍進はある女性の存在を抜きには語れないと思っている。
それは齢27のアクトレス。
花形であり場を和ませるムードメーカーでいてお騒がせなトラブルメーカー。
そして僕の恋人だ。
「役者一本で食べていく夢が遂に叶いました!」
無邪気に喜ぶ彼女を見ると僕も嬉しくなった。
が、しかし
「でも嬉しさのあまり食べすぎて5キロ増えました……」
「もう舞台衣装買ってるよ!?」
「大丈夫! ちゃんと3キロ落とします!」
「残り2キロはどうすんだ!」
こんな惚けた彼女と出会ったのは7年前のことだ。
僕らの活動に興味があるとのことでよく利用している純喫茶で合う約束をし、一緒に劇団を立ち上げた演出家と共に「どんな人かな?」と談笑しながら待合せ場所へと向かった。
彼女は早く着いており、席にはコーヒーとナポリタンが運び込まれていた。
彼女の第一印象だが、一目で表現者とわかる存在感を醸していた。
もちろん派手な服装や奇抜な髪型というような単純な事ではなく、雰囲気の話。演出家にも伝搬したようで「いいね!」という感想を視線で送ってきた。
そしてかなりの美人でもある。
身長165位の痩せ型で、主張の強い二重瞼と大きな唇が美しいアンバランスを描く個性顔。ベリーショートの黒髪でネイルもしていないのは役の幅を狭めないためであり、体調管理のため酒とタバコも一切嗜まないとのこと。
幼少時から役者を目指し、有名な児童劇団や芥川賞受賞歴を持つ劇作家率いる有名劇団に所属していたこともあったという。
第一印象で感じた「たぶん凄い人」を裏打ちするキャリアに納得しつつも、なぜそんな人がマイナー劇団に興味を持ったのか?ということについては以下の答えが返ってきた。
有名劇団には有望なライバルが数多くいるが、しかし重要なのは演技力よりも人脈と政治力である事実に幻滅した。また出世には自身の技術を高めるより相手を蹴落とすほうが早いという雰囲気にも嫌気が差したのだという。
「私がやりたいのは演劇ですから」
役者にこだわる一途さと高いプロ意識に強く関心を惹かれたが……
「好きあことはおびおびやりたいんえす」
聞取り不能。
頬袋を食物でパンパンにして喋ればそうなるだろう。
さらに店員が来た時
「おわわりお願いしまふ」
と、まさかの追加。
それなら違う物を頼むか大盛りにすれば良かったのになどと思いながら、口周りにケチャップが付いていることを指摘すると
「どうせまた付きますから!」
そう言って微笑みつつ舌先でケチャップをペロリと舐めたのだが、その仕草が何故かとても美しく感じた。
子供のようなはしたなさを顔一杯で表現しているのに、幼さをまるで感じさせない謎の色気に目が釘付けになった。
今まで色んな役者を見てきたつもりだが、こんな蠱惑的な女性はかつて知らない。
そのたったの一コマに強く惹きつけられた。
その後稽古参加の約束をして解散することになったが、どうしても気になったことを聞いた。
それは、なぜ星の数ほどある中から我が劇団を選んだのかということだが、その返事は予想外でいて僕のプライドを強くくすぐった。
「前公演見ました。内容は悪くないけど……」
と偉そうに評価した上で
「私が加わればもっと良くなると思いましたんで」
すると「ごちそうさまでした!」と元気に言い残して、支払いもせずさっさとその場を後にしてしまった。
後ろ姿を見送りながら演出家が呟いた。
「ドトールにすれば良かったね」
確かにその通りで、当時の僕の生活レベルは「牛丼が肉料理」という極貧状態なだけにこの出費はかなりの痛手だった。
「どうする?」
「食い逃げはさせないよ」
「あんな挑発までされたしな」
皮肉屋な演出家がニヤニヤしながら言った。
そして、
「でも彼女結構いいかもね」
とも。
短い会談ながらも奇矯さばかり目立ったが、彼も同じく彼女の醸す不思議な魅力にあてられたのかも知れない。
僕としても新たな才能が加わるのはもちろん、ひいてはマンネリ気味な雰囲気を打開したい気持ちがあった。風が吹き込むことで何かが変わればという期待を持っていたので彼女の登場はまさに待望と言えた。
それに
「私が加わればもっと良くなると思いましたんで」
こんな聞き捨てならない台詞を言われっぱなしで済ますつもりもなかった。
稽古の日を迎えた。
今回も彼女は早く到着しており台本に目を通していた。
皆に紹介してから椅子で円陣を組み、読み合わせを始めようとしたところ
「ダビデボダビデ……」
目を瞑って俯きながら謎の言葉を唱え始めた。
突然の事に少しざわついた。
「降霊術でも始まる?」
冗談で小さな笑いが起きた時、彼女は面を上げて目を開けると僕を見て言った。
「お待たせしました」
見つめられて驚いた。
深みを湛えた黒目は底見えぬ井戸の奥を覆うベールのような怪しさをまとい、幾分開いた瞳孔はゾクリとするほど真剣で力強い。
本当に何かが降霊したのだろうか?
その表情に優しさはまるでない。
気圧された僕は思わず不要な事を口走り、そして後悔した。
「あ……楽にしていいから」
「楽に?」
凄まれ、恥じた。
そう。ここには遊びに来ているのではない。
皆大事なお金と時間をかけて臨んでいる、真剣でなければいけない場所なのだから。
忘れていた初心を思い起こされ、気が引き締まった。
さて、初めての読み合わせはいつになく充実した内容であり、非常に疲れもした。
普段はお菓子を食べながらの軽いノリなだけに、その落差に完全にやられてしまった形だ。
で、そんな緊張を生み出した本人はといえば
「このお菓子食べていいですか!?」
まるで魔法が溶けたように先程の凄みは霧散して無邪気な姿に戻っている。無遠慮に袋の中へ手を突っ込んでお菓子を鷲掴みにすると、大きな口の中に放り込んだ。
「いいよ。って、もう食べてるし」
「美味しい! けどマーガリンって規制している国があるんですよね~」
成分表を見ながら他人事のように呟いてはお菓子をさらに勢いよく頬張った。
妙な豆知識は聞き流し、例の呪文について質問した。
あれは一体何なのか?
「言葉に意味はないけど始まりは願掛けだったかな? アスリートの人がやっている、ローションでしたっけ?」
「ルーティンのこと?」
「それそれ。唱えるとヌルっとうまくいく気がするんです!」
「そうか、それならローションかもね」
稽古が終わると演出家が興奮気味に話しかけてきた。
「あの子間違いなく凄いよ」
演技・性格共に普通ではないと感じはしたが、その予感は大当たり。
後日の立ち稽古でも圧倒的な演技力を見せつけ、さらに大きな衝撃を与えられた。
しかも才能だけではなく努力の人でもあるらしく、台本にもその痕跡が現れていた。
誰よりも読み込んでいると一目で分かるほどくたびれているのだが、偶然中が開いた時色々書き込みされていることが目に入った。
「ちょっといい?」
流石に気になり、台本を借りて開くと台詞部分に☓印がついていたのだ。
僕への遠慮からか申し訳無さそうな顔をしている。
「これだけど」
印のついたページを指差す。
「ごめんなさい。汚しちゃって」
「いや、それじゃなく」
確かに食べカスや飲みこぼしで汚れているが、そんなことはどうでもいい。
「この印だけど」
そういうと安堵の表情で事も無げに
「なんだそっちか」
「そっちに決まっているでしょ!」
ケロッとしたものだが、一体どういうつもりで印をつけたのか確認すると
「そこの台詞、なんか入ってこなくて」
沈黙。
というのもこの部分、僕も採用を迷った台詞だったからだ。
その日彼女の台本を借り、持ち帰ってつぶさに書き込みを点検した。
多くは自分用の補足なのだが台詞への指摘も目に付き、読み進めるほど腹立ちが増した。
もちろんダメ出しへの苛立ちもあるが、それ以上に僕自身気にしていた部分を図星にされたことの方が遥かに大きい。
『まぁいいか』
そんな甘い気持ちを見透かされたことに対して。
読み合わせで一本先取され、またも足元を掬われた格好。
こんな悔しいことはない。
「私が加わればもっと良くなると思いましたんで」
自信満々で言い切ったあの台詞が脳裏に去来した。演技は言うに及ばずその上さらに脚本への指摘も的確。
まさに彼女が言う通りに展開しているのだから面白いわけがない。
多くの脚本家は修正を嫌がる。
完成した脚本に足したり引いたりする余地があってはならないからだ。
それは僕とて例外ではないのだが、つまらぬ対抗心もあってそれらアドバイスに腹を立てるのみで反省することなく、結局手直しせず続行することにしたのだった。
今回の予告チラシは演出家が彼女をモチーフにすることを提案した。
美人はヒキになるという理由で。
当然そんな邪なやり口には反対だったが、ラフを見て気が変わった。
というのが彼女の口周りに鮮やかな真紅の口紅をはみ出すように塗ったデザインなのだが、これは初顔合わせ時に受けたインパクトを形にしたのだという。
彼も僕と同じ印象を受けたということはその魅力が他の人にも訴求する可能性は高いということに加え、デザインセンスも悪くなかったのでOKしたのだが、蓋を開けるとその思惑は面白いほど数字に表れた。
長年の運営から客入りの平均値は知っている。だから、いつもと違う売れ行きには敏感に反応した。
最終的には予想値の1.3倍という最多売り上げを記録。この状況を受けて大いに沸き立った。
そして公演当日。
客席にはいつもの同業者や関係者に混じって初見の客も多々目に付き、俄然気合が入った。
また彼女も友達を連れてきた。
映画の端役などに起用され始めた売出し中の仲間とのことで、マイナー劇団とは無縁な華やかな世界の住人を連れてこられることも彼女の実力の一端なのだろうと改めて関心した。
さて、公演は無事終了。
いつにない大入りで幕を閉じ、皆喜びを分かち合っている。
ただし僕一人を除いてだが……。
結論から言うと本公演は完全に失敗、それも立ち上げ以来最悪と言えるほどに打ちのめされることとなった。
公演直後は誰もが興奮し僕もその雰囲気に飲まれて酩酊状態だったのだが、観覧者用アンケートが冷水となりすっかり目が覚めてしまった。
それというのも、返答の多くを要約すると「彼女の存在が浮いている」というものだったから。
僕らは錯覚していたのだ。
彼女という才能を手にし、時間と場所を共有したことで自分たちも同レベルになれたのだと。
漫画やドラマではあるまいし、強烈な個性が加わったからといって即座に他の者の能力が上がるわけはないのだ。
それどころかまるで逆。
記録用の舞台映像を見れば一目瞭然で、彼女と僕らとの能力差は残酷なほど克明に映し出されていた。
こんな恥ずかしいことはない。
少し前まで「舞台を一緒に作り上げた」などと自惚れていた自分を殴りたいほどに。
そんな暗澹たる気持ちは、打ち上げの場でさらに追い打ちをかけられることになる。
彼女とその友達と同席したのだが、愚痴や批判が大部分を占める従来の打ち上げと違って本気で議論が交されており、しかも完璧と褒めそやした彼女の演技に対して次々ダメ出ししているのだ。
言うまでもなく、彼女の魅力が発揮されなかったのはそのポテンシャルを把握できずに書き上げてしまった脚本担当の責任なだけに、彼女がしょんぼりするたび僕もしなだれてしまった。
しかも、もし彼女の指摘通り脚本を手直ししていたら……と考えるとさらにやるせなさと自責の念が重くのしかかった。
そんな熱いディスカッションに触れたことで「真剣さ」ということについて大いに考えさせられた。そして、ふと初稽古時に彼女が見せた「あの目」のことを思い出しもした。
彼女らは幼少時から競い合い比較され、次々現れるラバルたちと壮絶な戦いを繰り広げてきたはずだ。
最前線に身を置き続け、いつ出し抜かれるとも知れない緊張した日々を送っていれば厳しく鋭い目つきになるのは当然だろうし、ならない方がおかしいのかもしれない。
戦闘時に優しい瞳をした戦士などはいないのだから。
眼前にいる彼女らは僕なんかよりも遥かに長い年月をかけて実績を積み、本気で取り組んでいるにも関わらず世間的には未だ「卵」であることを考えると、自身の未熟さを恥じずにはいられなかった。
それなりの脚本と練習、それなりの客入りで満足していた学生サークル上がりの競争とは無縁な温室劇団のままでは、きっと考えもしなかったことだろう。
あの時彼女が見せた厳しい視線、少し理解できたような気がした。
この件は劇団にとって転換となり、僕自身考えを改める契機ともなった。
「本気でやる」
そう心に誓ったものの、彼女が愛想を尽かして退団するのではという懸念は
「会った時大見栄切ったし、それに実力も発揮してませんから!」
と嬉しくも憎らしい返事を受けて続投することとなった。
リスタートをするに当たって「それなり」はすべて止め、小賢しいプライドも捨てた。
あれはダメこれは違うという青臭い演劇論はすべて封印し、広く意見を取り入れることにした。
脚本についても
「おのせりうはおうしらほうが」
「食べるか話すかどっちかにして」
「……」
「食べる方選ばないでよ!」
活発な議論が行われ、演技についても
「グッと来た気持ちをガッと出せばOKです!」
「そんなんでわかるか!」
切磋琢磨している。
習慣を変えるのは苦痛であり話合いは衝突を生んだが、前向きな諍いは成長の糧となって劇団は活性していった。
また、彼女を主役に添えることも賛同を得た。商業的には成功した前公演の立役者であり、彼女のファンになった人を取りこぼさないためでもある。
それまでの僕なら「邪道」と一蹴していたろうが、この軟化は決して間違ってはいない気がした。
気持ちを新たに再出発したわけだが、僕の中である変化が芽生えた。
それは彼女に対しての思いだ。
脚本を創るにあたり主役の彼女について考える時間が多くなったこともあるが、知るほど関わりを深めるほどに惹き込まれた。
「彼女ならどうするだろう?」
妄想は膨らみ、脚本を書く手もよく動いた。
そんな貪欲な創作意欲は脚本ひいては劇の完成度にも寄与したようで評判も徐々に高まり、結果動員にも結びついた。
ただ面白くないのが彼女は役を演じ切るだけではなく、物足りなかった部分や新たな解釈などを演技で僕に突きつけることだ。
口ではなく、実演で至らなさを思い知らされる悔しさ。
だから「次こそ!」という思いで彼女接近しては、別の一面を知ってさらに興味を抱くことになる。
常に彼女を見、考えを巡らせているのだから女優ではなく一人の女性として意識するのに、さして時間はかからなかった。
すなわち好きになってしまったのだ。
そして告白を決意したのだが当然問題はある。
それはフラレた場合のことだ。
すでに彼女は当劇団の大看板。告白が原因で彼女に去られては立場がない。
一人では決めかね演出家に相談したところ、告白する上での心得として
「フラレたら君が辞めればいいだけの話だから」
と、シニカルな彼らしい言葉で鼓舞してくれた。
それくらいの覚悟がないなら踏み込むなという意味なのだろう。
「止めておけ」と言わなかったことからも僕の意思を尊重してくれている……と思いたい。
そして数日後、彼女を呼び出し告白することにした。
「お話ってなんです?」
にこやかな表情が眩しいが数秒後には歪むことになるのか、それとも……。
意を決し、思いを告げた。
「え……」
視線を外し困惑の表情。
『終わったか』
緊張から体が力強く引き締まった。
すると
「ここって劇団内の恋愛は禁止じゃないんですか?」
一気に脱力した。
「当劇団にそのような掟はありませんけど」
「あっそう、ならいいですよ」
軽い!
でも嬉しいが、本当に理解しているのだろうか?
聞き返すのも野暮なので変化球の質問で探りを入れてみた。
「前は劇団内恋愛禁止だったんだ?」
「はい? 前の劇団も恋愛OKでしたよ?」
「だったらなんであんなこと言ったのさ!」
この告白は僕そして劇団の今後にも関わる重要案件なだけに役者ならではのドラマチックなリアクションを期待していたのだが……まぁ良しとした。
なにはともあれ劇団の危機も逃れ、晴れて交際もできるのだから。
彼女と過ごす日々は楽しかった。
初のデート。
「このモツ料理美味し~!」
「あんな内臓ぶちまけるホラー映画見た後によく食べられるね」
思い出深い初キス。
「いま虫歯なの。唾液感染しちゃうかも」
「いきなりディープキスなんてしないよ。本当妙なこと知っているよね」
そして初めての夜。
「……団長さん」
「そこは名前で言ってもらえます?」
体も心も強く結びつき
「あ、安全日の計算間違っていたかも」
「ノースキンでやった後に言うか!」
プロポーズすることを決意した。
それも演劇に関わる者ならではのサプライズ、すなわち舞台上で告げるという方法で。
次の舞台は恋愛物語なのだが佳境の告白シーンをあえて2テイク用意したのだ。
1つは本番用、そしてもう1つが今回限りのプロポーズ用。
根回しはすべて終わらせ、劇団関係者で知らないのは彼女のみ。
そして稽古当日彼女に例の脚本を渡した。
「ここは別シナリオを用意しているんだ」
ここだけは主演男優ではなく僕が臨時で代役を務めることも伝えた。
「空欄?」
そう。この告白用の脚本の一部にはわざと台詞を入れなかったのだ。
「君が思う言葉を言って欲しくて」
ここの台詞は「結婚してください」と僕がいい、それを受けて彼女が返事をする流れとなっている。
わかりやすい仕掛けなだけに、惚けた彼女でも流石に気がついたのか
「あっ」
と呟くと顔を赤らめ、その場を離れた。
それを見た演出家がニヤニヤしながら彼流の励ましをしてくれた。
「劇団を去ることにならないよう祈っておくよ」
時は来た。
練習の場を借りた僕にとっての本番。
稽古とはいえそこは舞台、役を持って立つことに身が締まる思いがした。
真向かいには彼女。
例の呪文を呟いている。
儀式が終わると顔を上げて僕を直視した。
そう、あの瞳で。
真剣そのもの。
思わず身震いしたが、これは武者震いだ。
それに今の僕なら、あの瞳に負けないものを持っているはずなのだから、怖気づく必要はない。
台詞のやり取りが進み、遂に告白シーンが訪れた。
「結婚してください」
目を見て伝えた。
その台詞を受けた彼女の瞳も曇りはない。
しかし
「でも……」
うつむき、無念そうな表情で彼女は俯いた。
でも?
なんでその言葉が?
ただ、彼女を信じて言葉を待った。
すると、おもむろに面を上げて真剣な眼差しで僕を見つめながら彼女は叫んだ。
「でも扶養家族になったらお給料どうなるんですか!!」
ずっこけた。
そして僕も叫び返した。
「そんな心配しなくていいから!!」
「だって年収130万円以上の壁が……」
「だからなんだってそんな妙なことを気にするんだよ君は!」
場に大きな笑いが起きた。
感動的に幕を下ろすはずの恋愛物語は一転して喜劇に。
「まったく……」
さすがに憮然としたが、今にして思えば扶養家族を口にしたということは結婚を承諾したと解釈できるわけで、もしかしたら彼女流の返答だったのかも……と思わないでもない。
まぁ相当飛躍した話ではあるけれど。
結局正式なプロポーズは後日改めて行った。
「結婚してください」
思いを伝えると彼女は右目から大粒の涙を流し
「演技でない涙って何年ぶりかな」
そう言ってコクリと頷いてくれたのだった。
僕たちは今一緒に暮らしている。
結婚生活は楽しく劇団運営も上々。
充実した日々を送っているが
「5キロ太っちゃった……けどいいよね?」
「ダメに決まってるだろ!」
「いいはずよ。だってこれは幸せ太りなんだから」
「食べ過ぎの言い訳に使うな!」
そう、相変わらずの惚けた点を除けばの話だけれど。
とはいえ、概ね幸せに暮らしている。
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