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その1 かくしごと
私たち家族には秘密がある。
正確には、私には、だ。
「行ってきまーす!」
「行ってくるよ!」
玄関先で並ぶ二人を見送るのが主婦である私、小山内美紗子の朝の日課だ。今日も夫と息子はいっしょに家を出る。夫の勇太は同い年で38歳、ごく普通のサラリーマン。息子は小学校三年生になった勇気、ごく普通の小学生。
夫はとても子煩悩で毎朝息子と小学校の登校班の集合場所まで歩いていく。みんなが揃ったのを確認してから、出勤するのだ。
「忘れ物はない? ハンカチもスマホも持った?」
問いかけるとふたりとも同じような表情をして同じタイミングでポケットの中身を確認する。本当によく似ている、と私は微笑んでしまう。
大事でかわいい息子と大事ですてきな旦那さま。
私はとても幸せで満ち足りた生活を送っている。
「大丈夫!」
「うん! じゃあ、行ってくる。遅くなるようなら連絡するから」
「ええ、待ってるわ」
にっこりと笑って手を振れば、二人は元気よく振り返してくれる。そして扉が開くと、私の顔からは表情が消える。
今日も無事に送り出すことが出来た。それはとても重要で、安堵できることだ。
私はうまく笑えていただろうか? ちゃんと笑っていただろうか?
頬に手をあてて、玄関に置かれた鏡を覗き込むと、ごくごく普通の平凡な主婦がそこには立っていた。夫と息子から母の日に贈られたエプロン。カットソーにジーンズ。それなりの体型。美容院に行ってなかったので髪が落ち着かないから、今度の休みには家のことを夫に頼んで、ちょっと出かけてこよう。
リビングに戻り、部屋の中をぐるりと見渡す。
まだ、慣れない。
私は大きく息を吐き出すと、気分転換をするために掃除を始めることにした。モップで簡単にホコリを集め、それから掃除機をかける。そういえば、窓も気になっていたんだった。今日は寒いから、明日晴れたら外側を掃除しよう。
そこに映りこむ自分を見ると、なんだか現実味がない。
私は振り返ってリビングに飾られた家族写真を見た。夫と息子、そして私。
三人が並んで写っている。
私が抱えている秘密。
それは、私が、小山内美紗子ではない、ということだ。
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