第1話 MAZE

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 我魔籤羅の舌が黒騎士の足首を執拗に狙っていた。その舌は、まるで、独自の意思を宿しているかのように滑らかに動くのだった。形状的には、南蛮領のほぼ半分を占めるとされる大密林に棲息する猛毒蚯蚓を連想させた。動作的には、密林食物連鎖の頂点に君臨する魔蛇妖蛇の類いを連想させた。  舌そのものが恐るべきモンスターであり、二体の怪物が合体して【我魔籤羅】という一体の怪物を形成しているかのようであった。本体(隊)の動きは緩慢だが、別働隊の動きは異様なほどに敏捷であった。獲物の捕獲が別働隊の使命であり、捕らえた標的を問答無用で食い(呑み)殺すのが、本隊の役割であった。  これまでに大勢のもぐり屋が、我魔籤羅の腹中に呑み込まれている。捕らえられた仲間を助けようとしたもぐり屋が、のっそりと立ち上がった我魔籤羅に頭から噛みつかれ、上半身をずたずたに引き裂かれたという凄惨な例もあった。  完全武装に身を固めていても、怪物の牙は鋼さえも貫き通す威力を秘めている。一人と半分を軽々と呑み尽くした我魔籤羅は、路面に転がる血塗れの下半身をも見逃さず、自慢の舌を動員して、口内に引き擦り込んだという。町の本屋で販売されている『怪物図鑑』や『妖怪事典』は、数多の犠牲を経た上で編集されているのだった。  もぐり屋の中には「化物ウオッチャー」と称して、活動している者もいるが、書き始めると長くなりそうなので、今回は割愛しよう。  黒騎士は腰の大剣を抜き放つと、魔影のように肉迫してくる我魔籤羅の舌を迎撃していた。我魔籤羅の舌は意外な難敵であった。さしもの黒騎士も一刀両断に斬り捨てるというわけにはいかなかった。くねくねと動き回る舌の表面は、多量の唾液に覆われており、これが「防護膜」のような働きをしているのだった。  最前より、騎士の刃は、幾度も舌を捉えているのだが、表面を浅く傷つける程度のダメージしか与えられなかった。血の霧が虚空に舞うものの、致命傷には至らず、悪魔の舌は騎士の奮闘を嘲笑するかのように活発性を増すのであった。  獲物を散々に翻弄し、疲労させ、太刀筋が鈍ったところで確実に捉えるのが、我魔籤羅の基本戦法であった。撤退もひとつの方策であり、決して恥にはならないが、背中を見せた途端に首や腰に巻きつかれたもぐり屋も少なくなかった。我魔籤羅の舌は、箆棒に長く「何処までも追いかけてくる…」ことで有名であった。
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