第1話 MAZE

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 怪夢羅の眠そうな眼が、獰猛な光を帯び出していた。全長十メートルの巨体を有する大怪物は、前方の獲物を「射程距離」に捉えたことを確信していた。地獄の釜みたいな怪物の口が禍々しく開かれたかと思うと、不気味な光沢を放つ緑色の液体が、黒騎士を目掛けて大量に噴射されていた。  黒騎士はこの攻撃を左手の盾で防いだ。特殊合金製の長盾である。強力な溶解性を持つ液体が、盾の表面に激突して、異臭と白煙を噴き上げた。だが、騎士の盾を突破するまでには至らなかった。  長盾の守備力が、液体の溶解力を上回っていたのだ。安物の盾ならば、溶解液を浴びた途端に溶け崩れ、使用者に甚大な被害をもたらしていた筈である。  次の瞬間、黒騎士は魔豹のように走り出していた。怪夢羅が苛立たしげに咆哮した。獲物を仕留め損なった憤りに全身が細かく震えていた。  黒騎士は大胆にも盾を床に投げ捨てると、怪物の鼻先に急迫していた。溶解液の放射と放射の間に一定の時間がかかることを騎士は知っていたのである。騎士は勇躍、防御から攻撃に転じていた。  怪夢羅は右腕を繰り出して、黒騎士の足首を掴もうとしたが、掴んだのは、足首ではなく、空気であった。逆さまに構えられた大剣の切っ先が、怪物の眉間に潜り込んでいた。潜り込んだ部分から、血の泡がぶくぶくと湧き始めた。  黒騎士の愛剣は余程の業物らしく、バターでも貫くように、怪物の脳髄を通過し、肉の裏を突き破って、口内に達していた。騎士が剣を引き抜くと、額と口の両方から、夥しい量の血潮が流れ出した。  黒騎士は一旦後方に下がり、先ほど投げ捨てた長盾を拾い上げると、瀕死の怪夢羅を静観していた。想像絶する苦痛が、怪物に狂気の乱舞を演じさせていた。怪物の巨体が左右の壁にぶつかって、どかんどかんと凄い音を立てていた。迷路全体を揺さぶるような猛烈な勢いだったが、無論、この謎の建造物は(大型とは云え)怪物一体がいくら暴れたところでびくともするものではなかった。  怪夢羅の目玉が白目に変わりかけた時、最後の反撃とでも云うべき、第二の溶解液が放出されていた。溶解液には血液や脳片が多量に混入しており、何やら汚物めいた印象を見る者に与えるのだった。  今度の攻撃は長盾を使うほどでもなかった。溶解液が届く前に黒騎士は安全な位置にまで移動を済ませていた。溶解液が、路面に当たって、虚しい飛沫を周囲に飛ばしていた。
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