竜へ捧げる愛

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 竜の守りし国、フェンダート。  二百年前、白銀に輝く竜ヴィリンを従え、カリアンがフェンダートを建国した。  カリアンはそのまま初代王となり、フェンダートを発展させていった。  生涯后を持たぬ初代王カリアンは、側近を次期の王に定め、三代目の後継者まで見届けると、病に倒れた。  初代王の竜ヴィリンは、その後を追い、火山に身を投げたという。  しかしヴィリン死後も、その友や子孫達が国を守り続け、フェンダートは竜の守りし国として今も平和な時を刻んでいる。 * * *  竜の寿命は二百年程度。  初代王の後を追ったヴィリン、その友の竜も生を終え、現在は子孫達がフェンダートを守っていた。  王宮の竜の森に住むのは五頭の竜で、それぞれに世話役がついている。  世話役は清らかな乙女と男子にしかなれない。  清らかな乙女と男子、それは有り体に処女と童貞のことを指している。  男女共に、初体験を済ませてしまうと、竜の証が消えてしまうのだ。  証は竜と「会話」でき、竜に触れる資格を示す痣のことだ。  証がないものが触れれば、竜の魔力によってその身が滅ぼされかねない。したがって世話役が「卒業」してしまうと、竜は新しい世話役を選ぶ。  その試験は簡単だ。竜に選ばれるか否か。選ばれたものには証が現れ、世話役になれるのだ。  もちろん、証は清らかな乙女と男子にしか現れない。  このような期間限定的な職業なのだが、竜の世話役になると魔力への耐性がつき、元からの魔力の貯蓄量が上がるため、清らかな乙女と男子の中では人気の職業であった。  俺はバジル・タンダート。  この栄誉なる世話役を十年もしているベテランだ。  二十四歳にもなって女性経験もないなどと影口を叩かれるが、そんなことはどうでもいい。  俺は、俺の仕えるシエン様を心の底から愛していた。  五歳の時に、シエン様を初めて見て、その姿に釘付けになった。  あんな綺麗な存在がこの世にいてもいいのかと思った。  慈愛にあふれた大きな緑色の瞳、体を覆う白銀の鱗。日の光を浴びるとキラキラして、眩い光を放つ。大きな翼を伸ばして、天空へ舞い上がる姿など、もう溜息なしでは語れない。  獰猛とか言われるあの爪も、光沢があって磨くと更に滑らかさが増し白磁器みたいだった。  あの瞳で見つめられると、昇天してしまうんじゃないかと思うくらい、俺はシエン様に夢中になってしまった。    十四の時に、前の世話役の人が「卒業」して、すぐに試験を受けた。俺の他に五十人くらい受けた奴がいたかな。  その中で、俺が、この俺が選ばれた。  どうやって選ばれるかって?  それはシエン様に受けいれてもらえるかどうか。  受け入れてもらえたら、胸の辺りに痣ができる。この痣――証は竜によって異なるみたいなんだけど、シエン様の場合は五つの花びらの形をしていた。  この証は、どうやら初代王の竜、ヴィリス様と同じみたいで、シエン様は彼女の生まれ変わりとも言われている。  ヴィリス様のことはわからないが、証はシエン様らしいと思う。とても可憐だ。  シエン様の大きな緑色の瞳は、時折憂いを帯びたように悲しく見える。そんな時、ぎゅっと抱きしめたくなるのだが、必死に堪える。ものすごく辛いが、俺は全エネルギーを使って耐えきる。  だが、そんな気持ちはシエン様には完全に伝わっているらしく、シエン様はすぐに俺の前からいなくなろうとする。  シエン様は俺のことが嫌いなわけじゃないはずだ。  だが、どうも冷たい。  でも、選ばれた身で、証も胸にあるわけで、嫌われているわけじゃないはず。だけど、だけど、シエン様はちょっと冷たい。  それでも、一方的に愛情を持ってお世話役をこなした。もちろん、彼女が望まない過剰なスキンシップは避けたが。  そうして十年が経った今年、なんと、シエン様がお嫁にいくことになったのだ!  いやな予感はしていた。  シエン様の年齢は、いや、えっと、ここはぼかしておく。女性の年齢を語るのはあまりにも失礼だ。  とりあえずシエン様は竜でいう結婚適齢期に当たる。  だから、いつお嫁にいってもおかしくないと思っていた。  だが、甘い。  俺のシエン様の愛はそんなものじゃなかった。  竜は一生に一頭しか、番にしないという。  だから、番が決まってしまうと、もう機会はない。  いや、最初から人である俺には資格はない。  親がもってくる縁談を断り、俺の童貞を奪おうとする女性を蹴散らしてがんばってきたが、人である俺には彼女の番になる資格はない。  そう、だから、調べた。  人がどうやったら竜になれるか。  そうして、俺はやっと方法を見つけたのだ。  その方法をシエン様にお伝えしようとした矢先、大臣の奴からそのシエン様の婚姻話を聞いてしまった。  だから、大臣に言ってやった。 「俺が竜になって戻ってくるから、しばらく時間をください!」  と。  大臣は目を真ん丸くしていたが、俺はちゃんと竜になれる理由を説明した。  竜の魂が眠る黒い石を手に入れたら、竜に成れるのだから、それまで待っていてくれと。  一応期間も二か月と伝えた。  大臣は取り合えず、なんだかわからないが頷いてくれて、俺は旅に出かけた。  盗賊にあったり、何やらよくわからない生き物に襲われたが、俺はどうにか国境近くまでやってきた。  というのは、シエン様の世話役をして十年、俺の魔力の耐性は常人を超え、その魔力の貯蔵量もかなりのものになっていた。しかも、この旅を思い描いて、計画も立てていたので、剣術も魔法の特訓もばっちりしていたので、俺はかなり強かった。  おかげで、俺はすんなり黒い石のある山へたどり着いた。      数百年前に、隣国の魔法使いが竜の魂を石に閉じこめた。  なんでも暴れ竜だったらしいが、俺は構わなかった。  竜になって、シエン様の番になれるなら、暴れ竜の一頭、二頭、制御できるつもりだった。  だが、甘かった。  黒い石を見つけ、それに触れたとたん、俺の意識はなくなった。  気がついたら、シエン様を足蹴にしていて、慄(おのの)いた。 「バジル!お前なのだろう。バジル!」  俺の意識を覚醒させてくれたのは、シエン様だった。  シエン様の美しい体は傷つき、血が流れていた。その翼も破れ、俺は乗っ取った奴に怒りをぶつけた。 「俺のシエン様に何をするんだ!」  シエン様の首に食らいつこうとする奴というか自分自身を止め、上空に飛んだ。飛び方なんてわからない。必死だった。そうしてシエン様から離れた。  だが、俺はただの人。   竜にかなうわけがない。   もうひとつの意識はとても強力だった。  人への憎しみ、人の国を守るシエン様への憎悪。  もういつまでこの体を制御できるかわからなかった。だから、自分の意識があるうちに、この身を火山の中に投げようと思った。  初代王の竜ヴィリス様は、王が死ぬとその身を火山に投げたという。  竜が死ぬにはこの方法がしかなかった。  だから、奴の意識を抑え必死にそこまで飛び、この身を投げた。  熱いマグマがこの竜になった体ごと溶かすはずだった。   だけど、俺は死ななかった。 「死ぬな、馬鹿者が!」  俺を救いあげてくれたのはシエン様だった。   「ははは。愚か者めが!竜の身でありながら人を守る俗物が!」  シエン様に俺は何かを言いたかったが、俺の中に入った竜が意識を取り戻し、彼女を罵っていた。  悔しくて、もう一つの意識に対して怒りをぶつける。   「人ごときの魂が、まだ消えぬか!」  だが俺はただの人に過ぎない。  竜の意識は強くて、俺の意識が小さくなっていく。  そうして、俺の手、黒い鱗で覆われていた立派な手、その獰猛な鍵爪で、シエン様をひっかこうとしていた。 「させるか!」  俺のシエン様への愛を甘くみるな! 「何だ? 人ごときが?」 「うるさい、うるさい!竜は好きだが、お前は嫌いだ!」  シエン様を傷つける奴は何者も許さない!  俺の必死な想いが実って、体を制御できるようになった。  翼、脚、人とは違う部位の妙な感触が新鮮だった。  だが、意識を集中してないと、もうひとつの意識が暴れ、再び体を乗っ取りそうだった。  だから、俺は決めた。 「シエン様。俺はあなたがずっと好きでした。だから、竜になりたかった。だけど、もうだめですね。馬鹿なことをしました。いい番を見つけて幸せになってください」  そんなこと少しも思っていない。  証で繋がっているからシエン様には俺の気持ちなど全部筒抜けだろう。  だけど最後の最後、ちゃんとかっこいいことを言いたかった。 「さようなら。折角竜になったのに、ひと時でもあなたとゆっくり過ごしたかったです」 「バジル!」  ああ。  シエン様の気持ちが伝わってくる。  ずっと冷たかったシエン様。   だけどそうじゃなかったんですね。  俺は人、あなたは竜。  だから、一緒にはなれない。  なろうとすると、そこには死しかない。  だから、あなたは俺から距離を置いた。 「シエン様。好きです。本当は、ずっと一緒にいたかった。番なんか見つけてほしくない」  マグマに落ちる瞬間、本音を漏らしてしまった。  馬鹿な俺だ。  かっこ悪いと思ったけど、四方から侵食してくる熱い液体、鈍くなっていく意識、もう何も聞こえなかった。  ただ、じっと悲しそうに俺を見つめるシエン様の緑色の瞳だけが、最後まで見えていた。  ***  竜が守りし小生意気な国があるという。  人の分際で竜を従えるなど……。  そんな国があることを知った時、胸糞が悪くなった。  だが同時に、不思議な感情が思い起こされた。  正体不明な感情。  だから、翼が大きくなり、遠くまで飛べるようになったら、その気持ちを確かめるため、フェンダートへ向かった。  そこには五頭の竜がいた。  その中で一番若い竜に、俺は目を奪われた。  雌なので、白銀の鱗に、緑色の瞳。定番の配色。だが、その顔に見覚えがあった。 「シ、エン様?」  何、言ってるんだ。  様だって? 「ああ、バジル!やっときたか!」  白銀の竜は嬉しそうに声を上げ、私に近づいてきた。  バジル?  聞いたことがある名前だ。   「なんだ。違うのか?」  白銀の竜――シエン、様。いや、ヴィリンは落胆した顔をしていた。  そうか、そういうことか。   「ち、違わない。私は、バジルだった。そしてカリアンでもあった」 「思い出したんだな」 「ああ、すべて」 「やっと、一緒になれる。お前のほうが三十一歳も若いのが腹立たしいがな」  シエン、そして私の番であったヴィリンは鼻を鳴らし、悔しそうに言う。  証がなくても、彼女の声が聞こえる。  心に伝わるのではなく、耳から聞こえる。  私はかつてこの国――フェンダートをこのヴィリンと共に建国した。  彼女を愛し、彼女も私を愛した。  けれども人である私は病に倒れ、彼女も私を追って死んだらしい。  月日は流れ、彼女は再び竜のシエンへ生まれ変わり、私は人の生を繰り返した。  記憶はなくなり、ただ竜への憧れを抱き、私は再び彼女に惚れこんだ。  そうして、十六年前、竜になるという目的のため、邪竜の魂の入った黒い石を取り込んだ。  浅はかな私は奴に意識を乗っ取られた。そうしてシエンを傷つけないため、死を選んだ。  神は今度こそ私を哀れに思ったらしい。   竜に生まれ変わった。  だが、ずいぶん年の差が離れてしまった。    それでも同じ竜だ。  茶色の強固な鱗をもつ、雄雄しい竜。  といいたいところだが、十五歳の私は、まだまだシエンより一回り小さいのだが。 「シエン。私をあなたの番にしてくれ」 「もちろんだ。えっと、今生の名をなんというのだ?」 「カナルだ」 「カナル。あと十年たったら私をお前の番にしてくれ」 「十年!」 「当然だろう。お前はまだ少年期だ。そんな小さな番があるか」  まったくシエン様、ヴィリンは、どこまでも私を焦らす。  彼女は私の愛しい竜。  二百年前に会った時から、私は彼女の虜だ。  (完)  
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