叫ぶ虚像

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 仕事上がりに先輩社員に声をかけられて飲みに行った。先輩といってもたしか歳は同じだ。入社が早かった分、先輩と後輩という関係になっているにすぎない。しかしオレも生粋の日本人。上下関係には(あらが)えないDNAを持っている。だからいつも懇切丁寧に接している。自然とそうなるのだ。  飲んでるあいだ中、先輩はほとんど仕事の話に明け暮れた。誰の判断が悪い、誰のプレゼンはひどい、なんとかちゃんは最近めっきり女っぽくなった、そんな類いの話が取りとめもなく続いた。気がつけばあっという間に店からラストオーダーを告げられ、とりあえず会計だけ済ませた。もちろん割り勘だ。終電の時間も迫っている。やっとこの空虚な時間から解放される。そう思った直後だった。  「しかし、お前もよくやってるよ。うん、それは認める」  先輩はまだ話し足りないのか、そもそもオレの話をするのが今日の本題だったのか、いざ帰る段になって当然のようにまた話しはじめた。  「お前は頭も悪くない。だけどさ、なんていうかな、ちょっと大人しいっていうのかな、もうちょっと、こう…なんていうのかな、アピール?してもいいんじゃね?」  なにを急に上から目線で言いだすのか。オレは理解に苦しんだ。というか無性に不愉快だった。しかし常にその場を取り繕う性分のオレは、なんとか波風を立てないような相づちを打った。  「そうなんですよ。それはよく言われますよ」  「いやいや『そうなんですよ』じゃないでしょ!そういうところなんだよ。なんていうかな、反骨心?もっと戦わないと!みんな敵だと思ってさ。そういうもんでしょ?仕事するって。周りを蹴落として、のし上がっていくんだよ。そういう気概がないとダメ。それが仕事の結果につながるわけ。しいてはそれが会社の業績にもつながるわけ」  「まあ、そうですよね。わかります」  「わかるなよっ!そこでわかったらダメでしょ。反論しなきゃ、反論!」  「そうですよね。反論ですよね。反論。大事です」  「大事ってなんだよ!そうやってひと事みたいに言うんじゃねえよ。まったく…ホントにたのむよ」  なにをたのむんだよ。先輩はオレのことを思って言ってるつもりなのか。それともただ単に気にくわないから言ってるのか。それこそただ飲んで愚痴るための酒の肴なのか。しかしそんなことはどうでもいい。いくら考えたところで先輩の心の中がわかるわけでもない。それよりオレは、店を閉めようとしている店員が、(せわ)しなく後かたづけをしながら、こっちをチラチラ見ている催促の眼差(まなざ)しが気になって仕方なかった。  「先輩、そろそろ時間ですって…」  「うるせえ、そんなこと誰も言ってねえだろ。そういう小さいことを気にすんなよ。なんならもう一杯注文するか?客だぞ、客、俺たちは!」  「いやいやもうラストオーダー終わってますから。『ラスト』っていうのは『最後』っていう意味…」  「そんなことは知ってるよ!馬鹿にしてんのか」  「いやいやそういうわけでは…。それにもうすぐ終電が…」  「なに?終電?そんなこと言ってるからダメなんだよ。終電の次は始発があるだろ。終わりがあれば始まりがあるんだ!」  意味不明だ。とても帰れる感じではなかった。  「ホントにお前は甘ちゃんだな。きっと育ちがいいんだろな」  もちろん褒めて言っているわけではない。  「俺なんか昔からバカだアホだ言われてきたからな。それでもそんな扱いに打ち勝って、そこから自力で這い上がってきたんだ。わかるか?わかんねえだろうな。いいか?俺からのアドバイスだ。よく聞け?お前はもっと羽目を外さないとダメだ!お前はこれまでいい子ちゃんの真っ当な人生を歩んできたんだろう。しかしそんなんじゃダメだ。片手落ちだ。人生で得たもの、してきたこと?そんなことはどんな馬鹿でもわかる。だがな、問題はな、『これまで人生で得なかったものは何か』だ!よく考えろ!」  おいおい、なんだかもっともらしいこと言うな。しかしそんなところでやけに上手いこと言われたのがとてつもなくしゃくに触った。その瞬間オレの不快指数はマックスに達した。  「うるせえ!オマエにそんなこと言われる筋合いはねえ。オマエは先輩でもなんでもねえだろ!同い年だろうが!偉そうに説教すんじゃねえ!もう懲り懲りだ!帰る!」  息を荒げながらオレは立ち上がった。気がつけば店員も柱の影に隠れるようにこっちの様子をうかがっていた。  先輩はひっくり返って後ろの壁にもたれかかり、タバコの灰を落とすのも忘れ、呆然とオレを見ていた。  「あばよっ!」  オレは啖呵を切って店を出て行った。しかし古くさいな。オレは昭和の映画スターか。よりによって『あばよ』とは…。それでもオレは、白いジャケットをバッとひるがえし片方の肩にたすき掛けしながら、もう一方の手で中指を立て、さっそうと立ち去る姿を頭の中に描いていた。そんな虚像に思い切り浸っていたのだ。そして怯えるような目でオレを見ながら道を開ける店員たちを横目に、オレはさりげなく一言告げた。  「うるさくしてわるかったな…」  夜風が身に染みた。そして、オレの終電はすでになくなっていた…。 (了)
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