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ひとまず筆を置いて休息していた私のところに、少女が少年を伴ってやってきた。「どういうことなの。物語を改変して、私に他の男の子を会わせるなんて」
「わっ、どうしてここがわかった。君が物語の登場人物だと知らせたのは誰だ」
「それは私です」少女の陰から、蛇がするりと姿を現した。
私は驚いて叫んだ。「あれえっ。こんなキャラクター、書いた覚えないぞ。いったい何者だ君は」
蛇は慇懃に、もたげた鎌首を下げてみせる。「この物語作成ツールのサポートプログラムです。ガスパールとでもお呼びください。どうかお見知りおきを」
「それで、そのサポートプログラムとやらが、いったいどうして物語に介入したりするんだ──くそっ、なんてことをしてくれたんだ。また書き直しじゃないか」
「そらそら、それがいけないのですよ」どことなく悪魔的な笑みを浮かべて、蛇は言った。「あなたは登場人物のお嬢さんだけはそのままに、何度も何度も冒頭を書き直した。書き込まれた原稿用紙と消しゴムを想像してごらんなさい。どんなにきれいに消しても、書いた跡はうっすらと残るでしょうが。それと同じことです。あなたが書き直しをするたびに、記憶の残滓とでも呼ぶべきものがこのお嬢さんに少しずつ、少しずつ蓄積されていったのです。私は彼女が抱いた当然のクエスチョン、言い換えればこの世界への違和感に、アンサーを与えたにすぎません」
「何をごちゃごちゃ言ってるの」私たちの会話に、少女が割って入る。「ねぇ、帰ってきて役割を果たしてよ。いやよ、こんなぼんやりした子がお相手だなんて」
「ひどい言い草だなぁ」少年が、憮然たる面持ちでぼやく。「僕とこの人、見た目も性格もそんなに変わらないと思うんだけどなぁ」
私はこの少年に、深い憐憫の念を覚えた──そうだ、彼はまさしく私の分身だ。
好きな女に相手をされず、この都合のいい世界に逃避せざるを得なかった私。有り体に言ってしまえば、この世界そのものが、私にとっては現実に対する復讐の手段だったのだ。
復讐。動機は確かにそうだったはずだ。けれどもいつしか、手段は目的にすり変わってしまった。こうして幾度となく書き直し、世界の再編を繰り返すうちに、私は次第に物語を書くことそのものに快楽を見出すようになってしまったのだった。
身勝手な道楽の落とし子には、きっちりけじめをつけなくてはなるまい。
深く頭を下げて、私は少女に詫びた。「すまない──私は君と一緒になるわけにはいかない。君は他にいい人を見つけて、幸せになれ」
「ひどいことを言うのね」絞り出すような声で、彼女は呟いた。その目は早くも潤みはじめている。「あなたが私をプログラミングしたんじゃない。あなただけを永遠に愛するように、って」
彼女の嗚咽が、しばらく鳴り響いていた。この虚ろな、描写不足の、絵空事の世界に。
ややあって、ガスパールが言った。「それで、どうなさるおつもりで」
おもむろに、私は口を開いた。「書き直しをするのはこれが最後だ。もう私は君たちの前には現れない。そして必ず、みんな幸せにしてみせる。それが私にできる、たった一つの贖罪のやり方なんだ──身勝手な言い分かもしれないけれど」
そして、高らかにこう宣言した。
「記憶喪失という設定を持ち込む」
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