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「今更ふざけんなって、めっちゃくちゃ腹が立ったよ。帰れって怒鳴ったし、でもその子、帰らないって。今、気持ちを伝えなかったら、一生後悔するって言われた」
汐菜の口調に熱がこもる。膝の上の拳も白くなるほど強く握られていた。
「もちろん、私も断ったよ。キッパリ拒絶した。もう、結婚は現実になってたし、今更、引き返せないって。はっきりそう言ったの。私はもう、有利さんと幸せになるつもりだったから、諦めて帰れ!って」
でも、最終的には拒絶しきれなかったのだろう。
結局、自分の気持ちに嘘をつくことができなかった。
普通の人間には、ぎりぎりの所でなれなかった。
そういうことなのだろう。
いつのまにか、有楽も大きく息を吐いていた。と同時に、踏切が再び鳴り始める。今度は反対側ではなく、目当ての電車だ。
先に立ちあがったのは、汐菜の方だった。
「ごめんね、変な話ばかりしちゃって。忘れていいよ。あなたのお兄さんだけじゃない、お母様やお父様、あなたにも許されないことをしたのはわかってる。一生、忘れないから。本当にごめんなさい」
一両しかない車両が、ゆっくりとこっちに向かってくる。掘立小屋を出て行こうとする彼女に、思わず有楽は呼びかけていた。
「汐菜さん!」
振り返る。視線が交わる。電車が軋みながら、止まろうとしている。
「今、どんな気分? 正直に教えて。兄貴と結婚しないの、後悔してる?」
「……」
不躾すぎる問いかけだった。でも彼女は怒るどころか、眉を下げて困ったように微笑んだ。
「それが、まーったく後悔してないの。あの子がそばにいてくれるんなら、私は笑っちゃうくらい幸せだから! ひどい女でしょ?」
それでも涙が一粒、彼女の瞳から溢れた。兄を傷つけておきながら、幸せを感じてしまう自分を責めているのだろう。それもわかる。
でも、だからこそ、有楽は叫んだ。
「忘れても、いいから!」
ブザーとともに開いたドアに、乗り込もうとしていた汐菜が、弾かれたように振り返る。
二度と会えないかもしれない、兄の恋人だった人に向かって、有楽は今まで出したことのないような大声で叫んだ。
叫んでいた。
「兄貴は、あれで単純だからすぐに立ち直って好きな人、見つけるよ! だから平気だから! 兄貴のことで一生、自分を責めなくていい! 忘れていいから! 俺たちのことなんて、忘れてもいい!」
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