世界が色づいた時

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「ただいま」 外の冷たい空気の余韻が残る玄関で、靴を揃えてフローリングに上がる。 中からは新谷家特性カレーの匂いがした。隠し味にハーブの一種であるクミンの種が入っている。そうすることで、味の深みと香りが良くなるそうだ。 「ただいま」 リビングへの扉を開けて、もう一度叫んだ。 「おかえりなさい」 、エプロン姿でカレーの味見をしていた母が、美しい笑みで出迎えてくれる。 ソファでは双子の弟、葵がやたら分厚い小説を読んでいる。題名はブックカバーのせいで見えないが、大方SFものの奇天烈な内容なのだろう。 とても集中しているようで、私の挨拶にも反応がない。 「今夜はカレーよ、茜も葵も好きだったでしょ」 「うん!」 私は元気よく答えたが、葵は静かに首を縦に振っただけだった。 しかし、母はそれだけで彼のことを理解したようだった。「なら明日も明後日もこれでいいかしら」といたずらっぽく笑っている。 「あっ、手抜きだ、お父さんに怒られるよ」 「いいのよ、あの人、あなた達よりもこのカレーが好きだもの」 そう言って、今度は三つの皿に盛り付けを始めた。 「私も手伝う」 炊き立てのご飯をよそいながら、私は最後に父と食事をした日を思い出していた。 確か一年前、小五の半ばくらいだった気がする。 それからは、父は仕事で重役を任されるようになり、残業増えて帰りが遅くなっていた。 そして、それと重なるようにして私の思春期、基父親嫌いの予兆が始まっていたのだった。 それも相まって、最近は父とろくに話していないような気がする。 「ねえ」 「なに?」 少しの沈黙の後、訊ねた。 「最近、お父さんどんな感じ?」 「お父さんはお父さんよ。このカレーが大好きで、家族思いの優しい人。あの人、茜と葵のことが大好きなのよ」 だから、と付け足して 「今嫌な時期なのはわかるけど、優しくしてあげてね」 と眉尻を下げてささやいた。 「なるべくね」 席につきながら答えた。 「さっ、ご飯食べましょう。ほら葵も席について」 「うん」 分厚い本にしおりを挟んで、葵は食卓につく。 「「「いただきます」」」 三人同時に言ったせいで、笑いが起こる。 「冷めないうちに召し上がれ」 その言葉に、私は大きな一口を頬張った。
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