9. 救世主

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少し歩いて、繁華街の建物の地下の店に入った。 バーのようなその店のソファ席に座るように言われる。 「マスター、救急箱頼んでええか?」 さっきの男性の声に、ソファ席から彼を見上げる。 「吾郎ちゃん、また誰か拾ってきたん?」 店の奥からまた違う男性の声。 「ちゃうがな。喧嘩しとったんや。5対1でやりあっとってな」 照明の落ち着いた店で、若干薄暗い。 助けてくれた男性がかがみ、俺の顔を覗き込む。 「歯が折れてるわけちゃうな。唇切ってるだけや。これも痛いか?」 左目尻を触られて、痛みに顔をしかめると、 「痛そうやな。冷やした方がええわ」 そう苦笑いしたその顔を、俺は見たことがある。 「あ~ぁ、痛そうやな。これ使い」 「マスター、氷もくれるか?」 「あぁ、待っときや」 黒服の年輩の男性がテーブルに救急箱を置いて、また奥に引っ込む。 救急箱を開ける助けてくれた男性に、 「中林さん?」 と、問い掛けてみた。 俺の問い掛けに驚いて俺を見る中林さん。 「兄ちゃん、なんで俺のこと―」 そう言い掛けて、じっと俺を見る。 ジーッと見て、ハッと眉を上に上げた。 「アンタ!新幹線で会った―」 俺を見る指を差して思い出したようだった。 「はい。墨です。墨恭一郎」 「そやそやそや!墨君や!」 中林さんは豪快に笑う。 「まさかアンタやったとはな!なんや、大阪で再出発やったんちゃうんか?なんで三宮でチンピラと喧嘩しとってん」 中林さんはティッシュを消毒液で濡らして、俺の唇を手当てしながら問い掛けてくれた。 覚えてくれていたらしい。 「いや、財布落として…。たまたまさっきのに拾われて…」 「アイツら素直に返さんかったんか?」 俺は頷く。 「そら、気の毒やったな。そやけど、5人に1人で挑むんは無謀やったんちゃうか?」 殴られて、頭に血がのぼった。 あんな風になるのはいつぶりだっただろう。 「吾郎ちゃん、これでええか?」 マスターと呼ばれているその人が氷嚢を持って戻ってきた。 マスターは白髪で小柄の、眼鏡が印象的な男性。 「ありがとう。これで冷やさせて貰い」 マスターから受け取った氷嚢を、中林さんが俺に渡してくれる。 「すみません。ありがとうございます」 俺は氷嚢を受け取ろうと手を伸ばす。 その手を中林さんに掴まれた。 「指は大丈夫か?」 中林さんが、俺の右手をジッと見る。 「どうもなっとらんな」 右手は痛くない。 左手がヤバイ。 俺は左手を見た。 その仕草に、中林さんは気付いたのか、俺の左手を見る。 「あ~ぁ、切れてるし、腫れてるやんか」 マスターが先に反応した。 「もう一個氷嚢持ってくるわ」 マスターがまた店の奥へ走る。 中林さんが俺を見る。 「右手は庇ったんやな。シザー握る手」 そう言って中林さんは、ニヤッと笑った。 それは、無意識だった。
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