9. 救世主

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まだそんなに古くないマンションの2階の一番奥の部屋。 鍵を開けて中に入れて貰う。 玄関はこざっぱりしていたけど整頓されてある。 玄関を上がって短い廊下の先に扉。 その先のリビングに案内された。 一通りの家具や家電が揃っていて、キッチンはリビングに隣接した独立型だった。 そこで手洗いうがいをした中林さんは、俺にもどうぞとすすめてくれた。 手を洗ってうがいをする。 「タオル、そこの使ってや」 「ありがとうございます」 シンクのタオル掛けのタオルを借りる。 リビングから(りん)の音がして、俺はキッチンを出てリビングに戻る。 リビングのテレビ台の横に、棚が設けてあり、その前に中林さんは立っていた。 俺はもう少し近付いてみる。 目に入ったのは手を合わせる中林さんの姿。 その前は小さな仏壇だった。 俺に気付いてこちらを見る中林さん。 「おっ、悪いな。日課なもんで」 「…あっ、いえ。俺もお邪魔してるんで、いいですか?」 俺の問い掛けに少し驚いた表情を見せた中林さんだったけれど、優しく微笑んで仏壇の前に通してくれた。 仏壇にある小さな写真を見つける。 そこに30代後半くらいの綺麗な女性が4~5歳男の子を抱き抱えた写真だった。 「…奥さんと…お子さんですか?」 思わず聞いてしまった。 「そうや。アンタらの世代には記憶にあるかわからへんけど、阪神淡路大震災で逝ってもうたんや」 中林さんは寂しそうに笑い、キッチンに戻って行った。 俺は姿勢を正し、線香を取って蝋燭から火を貰う。 そして手で扇ぎ、線香たてに線香をたてた。 (りん)を鳴らし、手を合わせた。 阪神淡路大震災…今から二十数年前の話だ。 俺がまだ幼稚園くらいの時の出来事だったはず。 高速道路が倒れている画面は、幼くても記憶にしっかり残るほどのインパクトだったし、社会の教科書にも出てきた。 「おい、そんなとこ突っ立てないで、こっちでこれを食おうや」 中林さんはカップラーメンとカップうどんを片手に一つずつ慎重に持ってきてくれた。 「あっ、大丈夫ですか!?」 「ちゃぶ台のものどかしてくれ」 言われてテレビの前のテーブルの上を俺は片付ける。 数冊の本を本棚に戻し、リモコンはテレビ台の上に置いた。 「ラーメンとうどんどっちがいい?」 問い掛けられて、どちらでもと答え掛けたけど、きっとまた若いもんが遠慮すんなと言われると思った。 「じゃ、ラーメンを」 そう言うと俺の方にカップラーメンを置いてくれた。 「座れ座れ」 言われるがままテーブルの前に座る。 ポケットに突っ込んできたのか割り箸をポケットから出してカップラーメンの上に置いてくれた。 「腹減ったやろ?食え」 「…いただきます」 俺は手を合わせてカップラーメンを頂いた。 中林さんは向かいに座り、俺の食べる姿を満足そうに見た。 そして、自分もと蓋を取ってうどんを食べ始めた。 「あぁ~やっぱり1人で食うより、誰かと食べた方がカップ麺でも旨いな」 中林さんは笑った。 俺も頷く。 俺はチラッと仏壇を見た。 「…奥さん、美人ですね」 「そやろっ!9歳下やったんや。べっぴんやろ」 ポツリと言った俺の言葉に中林さんは食い付いた。 「それだけちゃうで。気立てもよかった。料理も旨かったしな」 中林さんは止まらない。 「優しい女やった……。息子も嫁に似て可愛い顔しとった。アンパンマン好きやのにパン一切食べへんのや。なんでやって聞いたら“可哀想や”って。嫁に似て優しい子やった」 中林さんが目を細める。 「おっ、すまんな。こんな話」 「いえ」 亡くしてもう二十年以上経つはずなのに、こんなにも嬉しそうに二人の話をする中林さん。 色々葛藤があったに違いない。 「二人亡くしてから脱け殻みたいになってもうたけど…生かされたから、何とか生きてきたんや。なんか、意味あるんか知らんけど、そうやって思わな立たれへんかった」 カップ麺をテーブルに置いて言った中林さんの言葉が、胸にくる。 「アンタもえらい苦労したんちゃうか?」 「えっ?」 「…新幹線で会った時、昔の自分の表情を見てるようでな。声掛けてもうたんや」 真っ直ぐ見つめられた目。 「今も苦しみの中にいるんやろ?」 「…」 「大丈夫や。アンタは間違ってないで」 「…」 「よう、頑張っとる」 「…」 「苦しみはずっと続かん。いつか抜け出せるからな。自分なりにわかる日がくる」 片手で思わず口許を覆った。 わかる日がくるのか? こんなボロボロの状態の意味を。 抜け出せるのか? 闇に飲み込まれた人生なのに…。 それでも、中林さんの言葉は胸に響いた。
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