9. 救世主

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「吾郎さん、ありがとね」 男性客は支払いを済ませて、ご機嫌に帰って行った。 俺は店の中で見送り、中林さんは外まで見送る。 残った俺は、店の奥にあったラバーホウキを見つけて、床の掃除をする。 間もなく中林さんが戻ってきた。 「悪かったなぁ、なんや流れで手伝わせてしもて」 そう言いながら扉を閉めて、施錠した。 「あれ?もう閉店ですか?」 「うちは今、水曜日以外は完全予約制なんや」 「そうなんですか」 「そうや」 疲れたのか、中林さんはこちらに来て回転椅子に腰を掛けた。 水曜日以外完全予約制…それでやっていけるものなのだろうか…。 俺はラバーホウキである程度床を片付けて、塵取りと小ホウキで綺麗に片付ける。 「アンタ、段取り良かったわ。やり易かったで」 褒められた。 いくつになっても、誰かに褒められることは嬉しい。 「下働き長かったんか?」 「まぁ、そこそこやりましたね」 「ほうか、東京のどこのサロンで働いとったんや?」 「…イデアルです」 「イデアル?何語や?」 「フランス語です」 「なんや、わざわざフランス語からか」 思わず笑ってしまった。 「56はわかりやすいです」 「そやろ?」 中林さんは笑った。 片付けを終えた俺は、中林さんの前に寄る。 「お世話になりました。帰ります」 そう告げると、中林さんは立ち上がって会計のカウンターまで歩き、ゴソゴソとカウンターに手を伸ばした。 そしてこちらに戻って来て、俺に一万円札を差し出す。 「何の金ですか?」 「一文無しで帰られへんやろ?仕事も辞めてまた探しなおしやろ?」 「そうですけど…ATMでおろすんで」 俺の話を最後まで聞かずに、中林さんは俺に一万円札を握らせた。 「やるんやない。貸すだけや。また、返しに来てくれたらいい」 その言葉に返そうとした手を止める。 また会えるきっかけになる。 「…近々、返しに来ます」 「いつでもええで」 優しく微笑んでくれた。
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