10. 導かれた居場所

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―その2日後の昼に、藤木さんの彼女はパリから戻ってきた。 「こんにちは、池本千穂(いけもとちほ)です」 真白と同い年の藤木さんの彼女は、小柄なつぶらな瞳のぱっつん前髪で、聞いていた通り童顔だった。 「あっ、留守中に上がり込んですみません。墨恭一郎です。お邪魔してます」 「お話は伺いました。大変でしたね。どうぞゆっくりしてってくださいね」 満面の笑顔で言われて、本心なのか違うのかわからない。 俺の頭に便所の蓋と鏡の水滴が頭を過る。 「あっ、いえ、俺はもう出て行きます!」 俺の発言に、 「えーっ?どこ行くん?居ったらええやん」 と彼女の持って帰って来たスーツケースのローラーを雑巾で拭きながら藤木さんが言った。 「いや、さすがに彼女さん帰って来て一緒には…」 「私なら大丈夫ですよ?」 「いやいや、そう言うわけには…。あの、やっぱりそれは止めときます」 丁重に断る。 「じゃぁ…せめて夕飯は食べてってください。剛と二人でちゃんと食事も出来てないでしょうから」 そう言いながらキッチンに行った池本さんは、水回りとガス回りを見て驚いていた。 「自炊したん!?」 凄い勢いで藤木さんに問い掛ける池本さん。 「いや、俺ちゃう」 藤木さんは俺を指さす。 「めっちゃめっちゃ料理上手い」 そう言う藤木さんに、 「いや、簡単な物しか出来なくて!勝手にキッチンすみません!」 俺は池本さんに謝る。 泊めて貰うお礼に、食事を作らせて貰った。 便所の蓋と風呂場の鏡の水滴の話を聞いていたのと、キッチンの掃除の行き届いた具合から、出来るだけ綺麗に使って、使い終わった後は片付けもしっかりしたつもりだけど… 「汚してたらすみません」 と言う俺に、池本さんはすかさず俺の前にやって来て、手を取り握手される。 「すごいやん!男の人でもやれる人はやれるんですね!」 ブンブン握手される。 「剛も見習いやっ」 ドスの効いた声で藤木さんに言う池本さん。 彼女は俺の手を離し、またキッチンに戻る。 今、手を握られた…。 全く嫌悪感がなかった。 自分に驚く。 「おい、どないしたん?」 藤木さんに声を掛けられる。 「あっ、いや、大丈夫」 「そやったらいいけど…」 藤木さんは雑巾を片手にキッチンの彼女の元に近づく。 「なぁ、千穂。お前んとここの前までスタイリスト探してる言うてたやろ?あの話、生きてる?」 「スタイリストって言うても即戦力ある人材やで?」 「それなら、大丈夫やっ!」 藤木さんは雑巾を置いて、昨夜俺が彼に預けた履歴書を彼女に渡した。 彼女はそれを開けて見る。 「ほら、俺が前に話したグランプリの―」 藤木さんの話を遮断するように彼の口に手を当てた池本さんは、ザッと俺の履歴書を一読。 「イデアルって知ってるわ!そこで店長してたん!?」 目を輝かせて俺に問い掛ける池本さん。 「いや、まぁ、店長はそんな長い間してないんですけど…」 「なっ!すごいやろ!?この肩書き見てみぃや!」 「すごいわ!これはオーナーにも話しやすいわっ!明日、ちょうどオーナー来はるから、墨さん一緒にうちの店来たらいいよ」 まさかのトントン拍子。 「なっ!ええやろ!?」 興奮ぎみに迫る藤木さんに、池本さんはキッチンに置かれた雑巾を掴んで藤木さんの目の前に見せる。 「雑巾はどこに仕舞うんやった?」 その問い掛けに、 「あっ、すいません」 藤木さんは雑巾を受け取り洗面所へと消えた。 何となく力関係が見えた瞬間だった。
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