10. 導かれた居場所

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中林さんと俺は、ヘアサロンでカットを終えて、外を歩いた。 「それであの店に来てみたんか?」 中林さんは、俺がさっきの店に辿り着いた経緯を聞いて問い掛けた。 「はい。そしたら中林さんが居て…」 「なんや、縁があるんやな。俺ら」 そう言って笑う中林さん。 「あの店は“56”する前にやってた店でな。さっきの居留地と夙川にあるんや。もう次のオーナーに譲ったんやけど…」 「中林さん、経営者だったんですね」 「ちゃうちゃう。嫁のお父さんが築いた店を引き継いだだけや。俺が自分で開いたんは“56”だけや」 「奥さんのお父さんも美容師だったんですか?」 「いや、あの人は根っからの経営者やったから美容師ではなかった。俺、ずっと雇われとってん」 「そこで奥さんに出会ったんですね」 「義父からしたら、飼い犬に手を噛まれた衝撃やったやろうけど」 センター街に入って歩きながら話を続けた。 「中林さんクラスでも、お嫁さんのお父さんって怖かったですか?」 俺の問い掛けに、中林さんはチラッと俺を横目に苦笑い。 「そら、もう…。結婚の挨拶に行った時、俺、グレーのスラックス履いてたんやけど、緊張し過ぎて膝の裏からの汗が半端なくて漏らしたみたいに色が変わったんや」 「マジですか?」 「あれは、恥ずかしかったなぁ」 若干顔を赤くして、思い出し笑いをする中林さん。 「奥さんのご両親は?」 「もうどっちも亡くなっとる。娘も孫も失った後は、老いのスピードもはやなってしもてな…」 その話に、人を失うと言うことの重みを感じる。 「しんみりせんとってや。きっと天国で会えとる。俺の合流をのんびり待ってくれてるはずや」 中林さんは俺に気を遣ってか、そう言って俺の肩を軽く叩いた。 「恭一郎、昼飯食ったか?」 「いえ、まだです」 「もう少し歩くけど、旨いカレー屋があるねん。食わへんか?」 「食います!」 中林さんが連れて行ってくれたのは、外装も内装も派手なカレー屋だった。 陽気な店員が俺らを迎える。 「ゴローサン、久々ヤネ!今日1人チャウネンナ」 片言なのかなんなのか、店員は中林さんと親しげだった。 「煩い店やけど、味はええねん」 そう言いながら空いている4人掛けテーブルに向かい合わせに座る。 「マトンカレーにするわ。恭一郎は何にする?」 メニューを差し出されて問い掛けられる。 「あっ、じゃ、チキンカレー」 「バターチキンカレー美味シイデ?」 おすすめなのかそう言われて、 「じゃ、それがいいです」 と返事をすると、店員は満面の笑みでキッチンにオーダーを通しに行った。 「すごい店ですね」 天井から色んな装飾が吊り下げられてある。 「派手やろ?でも旨いねん。店からも近いから、結構通ってるんや」 なるほど。 「なぁ、恭一郎」 店を見渡していた俺に、中林さんは声を掛けた。 「はい」 中林さんを見るも、バッグの壁紙が派手過ぎて目がチカチカする。 「仕事探してるんやったら、うちで働いてみいひんか?」 「えっ?」 予想外の話に驚く。 「“56”は気ままにやっとる店で、オープンしてからずっと1人でやっとったんや」 あの店の造りは、はじめから中林さんが1人で店をする為に作られた造りなのは一目瞭然だ。 「やけど…アンタ、この前の俺のカット見て、思うことあったんちゃうか?」 真っ直ぐ問い掛けられた質問。 派手な壁紙も気にならないくらいに、真っ直ぐ見つめられた目に、嘘はつけない。 「…手、ですか?」 俺の答えに、中林さんは少し口角を上げて頷いた。 この前“56”で仕事をする中林さんをアシスタントしていて、すぐ気付いた。 手の震え。 仕上がりに影響が出ているようには思わなかったけれど、中林さんの苛立ちは微かに感じていた。 中林さんは右手をテーブルの上に出した。 「病院にもようけ行ったんや。どこでも“本態性振戦”言われた。多くの高齢者にある老いのひとつや。色々やってみたけど、治らん」 右手をギュッと結ぶ中林さん。 「…でも」 「アンタが立派なスタイリストなんはわかってる。老人のアシスタントなんかイヤかもしれん―」 「いや、そう言うのじゃなくて」 「俺があの店を閉める覚悟が出来るまで、手伝ってくれへんか?」 池本さんが話していた、藤木さんの話。 俺は彼の気持ちがわかる部分があった。 “尊敬出来る人間にしか雇われたくない” 尊敬出来る人の側で働きたい。 かつて、俺が、新城代表に憧れた気持ち。 「俺なんかで良かったら…」 俺の答えに、中林さんは満面の笑みを見せた。
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