2. 裁判のはじまり

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九条先生に会う約束をした前夜は、いつも寝つきが悪い。 それは九条先生が原因ではなく、事件のことを話すことになるから。 後悔ばかりしても、過去に戻れるわけでも、やり直せるわけでもない。 それなのに、どうしてもそこを考えてしまう。 事件の数日前に遡る。 真白のお母さんに果物を頂いた翌日、お礼の電話をした真白の実家の電話に出たのは、真白のお父さんだった。 いつもお母さんが電話には出るのに、お父さんで随分緊張した。 その電話でお父さんに叱責された。 お父さんに滅多打ちにされたのは、はじめてではなかった。 結婚のお願いにあがった5年前。 聞く耳を持っては貰えなかった。 同棲の許可は、何度もお願いして渋々許可を貰ったものの、それが余計に溝になってしまった結果になったと気付いたのはずっと後。 真白のお父さんのような順序や秩序を大切にする人に、同棲からのスタートは不利になることはわかっていた。 それでも、家の中で息苦しくしていた真白を助けてやりたい気持ちが優先し、半ば強引に同棲の許可を得た。 何とか溝を埋めようとしたものの、埋まらず…。 俺は多分、間違った方向に力を注いでしまったのだと思う。 ほとんど父親と言う存在や、愛情を知らずに育ち、真白のお父さんの真意は掴めなかった。 世の中の中でも立派な経歴を持って生きているその人に、どうしたら認めて貰えるのか… 学のない俺は、美容師として成功することが近付く近道だと考えていた。 勤め先の店長の昇格の話や、経営にも参加できる幹部になる話の打診もあり、俺は完全に勘違いをしたんだ。 胸を張って「今度、結婚の許可を頂きに伺います」と電話で話し、真白のお父さんに叱責された。 どうしたらいいのかわからなくなった。 気持ちが先走って言ってしまった以上、何も話していなかった真白には相談しにくかった。 それに、5年も待たせておいて、5年前よりも溝が深くなっていることを真白に相談できなかった。 そんな時に相談してしまったのが、勤め先のヘアサロン「イデアル」の代表の妹でもある萩山麗美だった。 麗美さんは俺より6つ年上で、俺が尊敬する新城代表の妹で、腕のいい美容師。 学生時代、彼女に仕事のいろはを教えて貰った。 俺が17歳の時にバイトに入った頃からの関係で、昔は恋心も抱いた相手。 当時既に彼女の夫である萩山悟と付き合っていて、俺はあっさりにフラれた。 あまりにもあっさりだったし、その後彼女は結婚までしてパリに行ってしまったわけだからキレイに諦めはついているし、未練はない。 帰国したその彼女と数年ぶりに仕事を共にし、パリでも通用した腕前に学ぶことはいっぱいあった。 新城代表の次に尊敬した人と言っても過言ではない。 だから、信頼していたし、話もしやすかった。 仕事場の仲間に、プライベートのことなんて普段は話さないのに、麗美さんには話してしまった。 昔から知ってるからとか、 姉のように慕った人だったからとか、 店長となる立場でその立場を理解してくれる彼女に話しやすかったとか、 そんな単純すぎる理由でだった。 新城代表も来るからと、ホテルのラウンジに飲みに行ったのも軽率だった。 カードを持っているから、ホテルのラウンジで無料で飲めるからと誘われた。 麗美さん自身の結婚も、新城代表が反対した過去があり、二人から話を聞ければ、何か真白のお父さんと打ち解けるヒントを貰えるかもしれないと思った。 それに…年上で、上司にあたる人とは言え、その日の店の決起大会の支払いも麗美さんが済ませてくれていたことも知っていたし、どこの店に行っても結局支払わせて貰えないから、無料だと言われたら少し気が楽だったのもある。 恋心を引きずっていたわけでも、何か期待があったわけでもない。 俺は、それが麗美さんの計画とも知らずに、彼女に付いていってしまった。
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