23. 芍薬の花

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――キッチンに戻ると、洗い物は終わっていて、キッチンも綺麗に片付けられていた。 キッチンから居間へ、居間も片付が終わっていて、テーブルの上もピカピカだった。 「真白?」 呼び掛けても返事がない。 あれ? …クゥゥゥン 微かに聞こえた悟空の甘える鳴き声。 俺は玄関へ回って外に出て、庭を覗いた。 月明かりの下で、真白がしゃがんで悟空を両手で撫でていた。 「真白」 俺が呼ぶとこちらを向く。 「恭ちゃん、吾郎さんは?」 「寝た」 真白の側に寄ると、真白は立ち上がった。 「身体冷したらよくないよ。まだ全快ってわけじゃないんだから」 12月頭の気候。 海風もあるからか寒い。 「大丈夫だよ。恭ちゃんこそ、上着も羽織らずに寒いでしょ?」 真白はしっかり上着を着ていたが、俺は羽織らずに出てきた。 「こうしてたら大丈夫」 真白を抱き寄せた。 少しお酒を飲んだ真白の身体は火照っていてあたたかい。 「ダメよ、人様のお庭で」 離れようとする真白の肩に顔を埋める。 「家主は夢の中」 「ご近所―」 真白はそう言い掛けて、近所は数十メートル離れていることに気付いたのか言葉を飲んだ。 「悟空が見てる…」 真白に言われて、真白の肩越しに悟空を見ると、足元で尻尾を振っていた。 「気にしない」 俺がそう言うと真白はくすくすと笑った。 「…恭ちゃん、連れてきてくれてありがとう」 真白はそう言って、俺にキュッとしがみついた。 「…どういたしまして。俺も来たかったから」 ふとした時に思い出して、真夜中に真白が泣いているのを知っていた。 身体に宿った命の感覚、痛みも不安もそんなすぐ消せるもんじゃない。 ベッドの中で泣いていたら抱き締めて、俺から離れて泣いている時は、それを見守った。 千穂さんに“一人で泣きたい時もあるもんや”と言われたからだ。 気分転換になるかわからないけれど、島の空気やゆったりとした時間に触れさせてやりたかった。 「ねぇ、恭ちゃん…」 真白にぴったりとくっついたまま彼女を見る。 「ん?」 「赤ちゃんのことなんだけど…」 真白はそう言って切り出した。 「お医者様がね、身体は回復してきてるから、次の生理がきたらまた家族計画考えて大丈夫ですよって」 昨日、真白は診察に行っていた。 おそらくその時に言われたのであろう。 「そっか。うん…わかった」 だからと言って、あんな辛い思いをさせて、じゃぁ次ってわけにはいかない。 「…あのね、私、もうそんなに若くないし……」 真白が予想外のことを言い出した。 「えっ?33だろ?若いだろ」 「いや、でも、出産のことを考えると…」 「あぁ~……そうか」 真白の髪を撫でる。 出逢った頃と全然変わらない。 「見た目は変わらないのになぁ」 「嘘だよ」 真白が笑う。 「真白は変わらないよ」 「変わってるよ。恭ちゃんと出逢ったのって18歳だよ?」 「18歳のまんま可愛い」 たまらなく真白の額に軽くキスをした。 「もう!人様のお庭!」 「自宅みたいなもんじゃん」 「親しき仲にも礼儀あり」 真白が大真面目に言うから、俺は思わず笑った。 「俺は変わった?」 真白は俺を見上げてジーッと見た。 「出逢った時は恭ちゃん、不良みたいだったからな…」 真白の言葉に俺は吹き出す。 そうだった…。 俺、不良って思われてたんだった。 ちょっと髪を明るめに染めて、ピアスとかしてただけだけど。 「あっ、ごめん。話変えてた。子供の話?」 軌道修正する。 「あっ、そうそう」 真白も話を戻してくれる。 「就職先には結婚してることも、いつか子供が欲しいことも伝えてるの」 真白の就職先は、天宮の父が知り合いのコネで大阪の大手の弁護士法人をと言ってくれていたようだけど、真白はマスターの知り合いの小さな弁護士事務所に決めてきた。 いわゆる町弁。 九条先生の事務所みたいな感じらしい。 そこの事務所のトップが年輩の女性弁護士だとか…。 俺も真白に聞くまで知らなかったのだけれど、殆どの司法修習生は司法修習前もしくは修習中に就職先を決めるらしい。 秋口に決めた真白は、遅い方だとか…。 天宮の父が随分心配していた。 「女性の労働環境とか取り扱ってる先生だから、割と理解はある感じなんだけど…」 「うん」 「少しだけ待ってくれる…?仕事が落ち着くまで…」 真白は俺を真っ直ぐ見上げて、申し訳なそうに言った。
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