3. 傷

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「代表、やめてください!」 思わず新城代表を起こそうと肩に触れる。 びくともしない。 「頭下げて何が変わるわけでもない。でも本当に申し訳ない。申し訳ない…」 新城代表のこんな姿、見たのははじめてだ。 いつも、豪快で大きくて強くて懐のでかい憧れの人。 「代表!やめてくださいっ!代表が悪いんじゃない!」 全部壊れる。 今まで築いたものが全部壊れてく。 「新城代表ッ!」 俺の訴えに新城代表は頭を上げた。 それにホッとする。 「…なんて顔してるんだよ…恭一郎…」 新城代表が俺の顔を見て苦しそうに言った。 自分がどんな顔をしているのかわからない。 「泣くなよ…」 新城代表はそう言って俺の肩ををぐっと引っ張り、ハグするように背中を叩いてくれた。 呼吸が楽になる。 新城代表にハグされて、肩を叩かれたのは5度目。 1度目は、イデアルの社員になった時。 2度目は、はじめて指名がついた時。 3度目は、名誉ある賞のグランプリを取った時。 4度目は、店長に上げると、幹部に引き上げるからと言われた時。 周りからどんな風に見られたかはわからないけど、異様だったと思う。 それでも、きっとこれが、最後のハグだと思ったら、離れられなかった。 高校生の時に登壇の上で見上げた眩しすぎる先輩。 憧れて、追いかけて、近づいた。 俺の目標だった。 一番尊敬した人だった。 店を出て、駅まで歩いた。 「恭一郎…美容師は続けろよ」 何も言わずに並んで歩いていた新城代表が、駅に着く直前にそう話した。 「お前にはセンスがある。流行を先に感じる美的感覚や直感は、努力して得られるものじゃない。直感やそれに伴う技術はみんなが持てるわけないんだ。お前にはそれがある」 こんなに褒められたことは今までない。 「好きなところで美容師を続けろ。店を持ってもいいんじゃないか?」 「…いや、俺にはそんな能力ないですよ」 「そうか?俺はお前なら出来ると思う」 新城代表が優しく笑う。 「嫌じゃなかったら、いつでも連絡してくれ。力になるから…」 そう言って、駅の改札の前で手を差し出された。 握手をする。 「車ですか?」 「いや、タクシーだ。これから本部に戻る」 社用車ではなく、タクシーなんて珍しい。 「じゃ、また」 新城代表と握手を交わし、そのまま別れた。 イデアルが苦しい状況下に置かれていると知ったのは、それから少し後だった。
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