6. 旅支度

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「…ごめん、兄ちゃん」 目をいっぱいに潤ませて、震える声で慶次郎は言った。 「ずっと前からうちは崩壊していた。だけど…兄ちゃんだけが見捨てずに守ってきた」 片足を立てて座っている慶次郎は、その膝に肘を置いて、手の甲を口に持っていく。 「兄ちゃんだけが…この狂った集まりの中で、いつも賢明だった…」 慶次郎の目尻から涙が溢れた。 「…慶次郎。そんなことない」 俺の言葉に慶次郎は強く首を横に振る。 「そう思うなら話しは早い。恭一郎を解放してやってくれ」 そう話したのはずっと黙っていた大竹だった。 「…大竹君、解放って何?それじゃぁ、私達が恭一郎を苦しめていたみたいじゃない」 母親が噛みつく。 「苦しめてたみたい?みたいじゃない。苦しめてたんだよ」 いつもボーッとした細目の大竹の目が見開く。 「ガキの頃、恭一郎はいつも生傷が絶えなかった。いつも慶次郎の父親に躾と称して暴力をふるわれていた。おばさんはいつも見て見ぬふりだった―」 「あれはやんちゃな恭一郎を叱る意味で」 「あれは躾じゃない」 母親の反論に大竹は言い切る。 「高校生になってからは、ずっとバイトしてた。俺や同い年の友達が遊び呆けていても、恭一郎はずっと家の為に、自分の将来の為に働いていた」 「うちは、母子家庭だったから…」 「将来の夢を掴みかけた時も、その時期をずらしてまで慶次郎の学費の為に働いてた」 「それは、慶次郎が私学なんて行くから…」 「本来なら、全部子供が背負うことじゃない」 言い切る大竹に、母親はテーブルを叩く。 「両親揃った繁盛してる酒屋の息子が偉そうに言わないで!うちはね、母子家庭で支え合わなきゃ生きていけなかったの!」 「支え合うってのは、誰かが一人で踏ん張るんじゃないだろ?」 「アンタに何がわかるの!?」 「恭一郎の気持ちはおばさんよりはわかってるつもりだ!」 まさかの口論。 大竹がこんなに感情を出して話すなんてことはない。 「やっと掴んだはずの幸せまで、母親の不倫の代償で失った」 「私の責任だって言うの!?」 母親が怒りを露に立ち上がる。 「元凶はおばさんだろ!?」 大竹は母親を見上げてそう吐き捨てた。 「大竹、もういいから!」 「よくない」 俺の制止も聞かない。 「自分で言え!恭一郎!」 大竹にそう発破をかけられる。 わかってる。 自分で言わなきゃ意味がない。 俺はグッと拳を握って母親を見上げる。 「これからは自由に生きていきたい」 真っ直ぐに言った母親の目が、俺を見据える。 「今までは自由じゃなかったの?母さん、恭一郎を縛り付けたことがあった?美容師になりたいって言った時も、同棲したいって言った時も、反対なんかしなかったでしょ?」 母親は俺を見下げて言う。 確かにそうだ。 だけど… 「ずっと…苦しかった」 見上げたまま答えた。 「辛かった…」 本当は… 「何度も逃げ出したかった」 正直な気持ちを伝えた。 「自由になりたかった…」 初めて言葉にした。
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