7. 光の射す方へ

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「マスク君、怜奈さんにロックオンされてるやん」 耳元で囁かれて驚いて勢いよく振り返った。 同じ店で働く同い年くらいの男性スタッフ森野さんだった。 「彼女、そこそこ有名な店のナンバー2やで。マスク君、えらい気に入られてるやん?ええなぁ」 マスク君と呼ばれているのは俺。 どうしても夜勤務の女性が多いと香水や化粧品の匂いが鼻についた。 店長にマスクの装着を願い出たら、 「売り上げ落とせへんねんやったらええで」 との回答だった。 マスクのおかげかどうかはわからないけれど、PTSDの症状は出ていない。 「連絡するん?」 「しませんよ」 俺はカードを2つに破り、店に戻るとカウンターのシュレッダーにそれをかけた。 「勿体なっ、美人やのに」 俺は愛想笑いして流した。 「お気に入りになったら、ヤらせてくれるで」 耳元で森野さんは囁き、ニヤッと笑って仕事に戻って行った。 マスクの中で小さな溜め息を吐いた。 ホントかどうか知らないけれど、お客様相手にそんなことを話す風紀がイデアルとは違う。 美容師はお客様を喜ばせるワードを交えて話すのはどこも同じだと思うけれど、ここのサロンのスタッフとお客様の距離感が近すぎる気もする。 地域柄なのか… その辺りを上手く交わせずにいた。 イデアルで勤めていた時は、お客様から連絡先を渡されたりする空気や隙は絶対に与えなかった。 若い頃は確かに距離感がわからなくて、あるにはあったけど… 「こんなことも1からか…」 げんなりする。 ここのサロンは午前10時から翌日午前1時まで営業している。 早番遅番の2つに分けられていて、俺は殆ど遅番だった。 仕事が終わるとコンビニで夜食を買って寮に戻る。 風呂に入って、夜食を食って、休憩して、寝る。 学生時代の居酒屋のバイトの経験はもちろん、イデアルを辞めてから再就職先に居酒屋を選んで暫く雇われていた経験から、身体はそこまで辛くなかった。 寧ろぐったり疲れて眠ることが出来ていた。 食べた容器をミニキッチンで軽く洗い、ごみ袋に捨てる。 インスタントも出来合いものも、真白と暮らしている時は昼以外食うことはなかった。 元々母親が料理を小まめにするような感じでもなかったから、俺の身体はインスタントでも出来合いものでも何でも大丈夫だったけど… “恭ちゃん、食べ物は身体を作る基盤になるのよ。しっかり栄養摂らなきゃダメだから、ちゃんと手作りしよ” 同棲して直ぐに真白に言われた言葉を思い出す。 ここのところインスタントや出来合いものばかりだ。 ベッドに仰向けに寝転がる。 “恭ちゃん、身体…大切にしてね” 真白の言葉を思い出す。 明日は、朝買い物に行って昼飯を作ろう。 そう思った。
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