9. 救世主

2/12
前へ
/300ページ
次へ
ただ、ずっと、歩いていた。 酒なんか一滴も飲んでいないのに、フラフラする。 東京から離れたって、俺は一からなんてやり直せない。 誰かが俺のことを調べたら、簡単にわかってしまう世の中だ。 新しくなんか生きていけないんだ。 あてもなく歩いていると、人が流れてくる感じがして、流れてくる方を辿ってみた。 それは阪神電車のとある駅だった。 財布から電子マネーを出してみる。 東京で使ってたものが使えるかわからないけれど、改札にかざしてみると改札が開いた。 どこ行きとか、そんなことを調べることもせず、ホームに上がり来た電車に乗り込んだ。 割と人が乗っていた為、扉付近の端に寄り、外を眺めた。 九条先生が言ってた通り、男性性被害者への世間の目は冷ややかだと思った。 薬の快楽なんて…恐怖と絶望の方が大きかった。 病院の医師は、中には自分の意思で飲んだわけじゃなくても、薬の快楽を忘れられない人も一定数居ると言っていた。 俺の場合、あの場で舌を噛んで痛みを伴ったことは、もしかしたらプラス要素に働いているかもしれないとの見解を、医師は示している。 舌の痛みは長く続いたし、あの時は物凄い出血だった。 薬の解毒の為に、細川が用意してくれたピッチャーの水も、痛みを堪えて苦しんで飲んだ。 痛さの記憶はまだ残っている。 思い出して、口の中の唾液をゴクリと飲んだ。 さっき吐いた口の中は、まだ少し酸っぱいような気がした。 もっと地方へ行こうか? のどかな田舎とか。 そしたら、穏やかに暮らせるだろうか。 でも、そんなとこでもし噂になったら…。 日本を離れようか? 日本語以外ほとんど話せない。 英語なんて中学生レベルの英語を単語で拾うレベル。 そんな奴が海外で生きていけるか? …もっと、学生の時に真面目に勉強しておくんだった。 バイトしてバカやって、勉強なんて二の次三の次だった。 …それに比べて、真白は丁寧に学んで来たんだなと生活の中でよく感じていた。 例えばニュースを見ていても、世界経済の話なんてちんぷんかんぷんな俺だけど、ニュースを見て「日本の株価が上がりそうだね」と真白が言ったらその通りだった。 二人で街を歩いていると時も、道に迷った外国人に声を掛けて、英語で道案内をしてあげてた。 大家さんがハイツの1階に置いてくれているプランターの花も「これは百日草」だとか「ペチュニアだね」なんて、花の名前もよく知っていた。 真白は…きっと、大丈夫だ…。 あんな魅力的な女性を、周りが放っておくはずがない。 そう思って、グッと拳に力を入れた。 電車は終点に到着し、降りた場所は阪神三宮駅だった。
/300ページ

最初のコメントを投稿しよう!

8493人が本棚に入れています
本棚に追加