ケンちゃんとわたし

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そうして私とケンちゃんは住宅街を離れ、住宅街からはさほど遠くはない、商店街に目的を定め、相変わらず不規則な歩幅で目的地である商店街へと進めていた。 商店街に到着し、一旦立ち止まって気を抜けば、一気に夏の暑さが細身の身体に絶妙なダメージを食らわしてくる。 商店街に到着すると、少し古臭くも昔の面影が今も残るどこか親しみやすい風景と夏の香りがした。 ここでも、忘れ去った記憶に何か少しでも影響するような事があればいいなと小さく胸を膨らませる。 ケンちゃんにとってもここが母親に繋がる良い手がかりが見つかれば良いののだが。 そんな期待の気持ちを足に込め、早速二人は、商店街の奥へ奥へと向かっていった。 ちょうど中間あたりまで来たところで、また私の頭の中に先ほどと同じように映像が流れてくる。私は、突然の出来事に思わずその場で立ち止まってしまう。自然と私の意識はその映像へと集中していく。 先ほどの映像の中で見た人物であろうか、背の高い人物とその横で仲よさげに手を繋ぐ小さな人物が、少し店の並びなどに違いはあるものの、そこは確かに今現在まで自分たちが歩いて来た同じ商店街の中を楽しそうに歩いている。 そして自分たちが今まさに立ち止まっている場所で同じ様に立ち止まると、背の高い人物のモヤがかった口元から初めて言葉が発せられた。 「〜〜〜くん、今日はどんなお菓子にしましょうか?」 その声にも変なノイズがかかり、重要な箇所が上手く聞き取れなかった。その人物は、小さな人物に向かって話しかけているようだった。そしてその小さな人物は、 「そんなの決まってるよ!もちろん〜〜〜〜!これが一番大好きだもん!だって〜〜〜か〜〜〜 」 その小さな人物はモヤがかかって表情が全く見えなくても、とても楽しそうに笑っているのがわかった。 しかしその声にも先ほどと同じようにひどくノイズがかかり、その言葉を鮮明に聞き取る事は出来なかった。 そして私の意識は再び現実へと戻る。 現実に戻り、今の映像の理解を促す様に、目を瞑りゆっくり落ち着いて息を整える。 映像に登場した、その謎の二人が見つめていた先には、昔懐かしい香りの漂う小さなお豆腐屋さんがあった。 私は、そのお豆腐屋さんが記憶を呼び戻すための何かを伝えているような気がした。流れて来る映像と現実世界がどこか繋がりを持っている様にも思え、私は思い切って今まで見てきた映像の事を、ケンちゃんにありのまま伝えると、ケンちゃんは静かに頷きながらニッと笑った。 「それって誰なんだろうね、もしかしてお姉さんの子供の時の記憶なのかな?その小さい方がお姉さんなら大きい方の人物はもしかしてお母さんとか?」 「でも何かがひっかかるんだよな…何だろう…本当に私の子供の時の記憶なのかな…でも確実に近づいている気はする、私の忘れている何かに…そんな気がする…」 「とりあえずあのお豆腐屋さんに行ってみようよ!何かわかるかも!」 「…そうだね!よし、行ってみよう!」 「わからないままここまで来たけど、なんだか見つかりそうな気がするよ。なんだか僕、すごくワクワクして来た!」 「ケンちゃんって私が思っているよりも実はしっかり考えてて、ちゃんと冷静に物申せる子なんだなって、正直ちょっと驚いた。」 「どっどんな子だと思ってたんだよ〜。」 「はっはっはっ!気になるか少年。ならば教えてあげようじゃないか。ケンちゃんは、いつもヒモ飴のことしか考えなくて、考えるよりも先に、前にしか進まないド根性精神のパワフルボーイ、だと思ってた。ふふ…」 「なんだよそれー!確かにヒモ飴は大好きだし、算数とか頭使う事は苦手だけど…パワフルボーイって…それじゃまるでイノシシみたいじゃないかよー!」 「もしかしてイノシシだったりして。でもそれはイノシシさんに!失礼かなぁ〜」 「もー!お姉さんのいじわるー!」 「ごめんごめん〜。でもありがとね。」 「え?」 「ちゃんと考えてくれて。本当はすごく嬉しいの。」 自分の母親探しのために、行き先も予定も立てずに飛び出した事に、なんの不満も訴えず、さらには自分の目的のためだけではなく、私の明確のない目的を第一に考えてくれる、そのケンちゃんの優しくも心強い姿に私は、内心から込み上げて来るものがあった。それを必死に抑え、それを隠す様にニッと笑ってみせた。 それを見たケンちゃんは、うしろから膝カックンをされた時のように、はっとした表情をし、その小さな頬を次第に赤く火照らせた。しかし、その表情とは正反対に、今度はケンちゃんの瞳から大粒の涙が溢れ出てきた。 予想もしなかった自体に、自分でもびっくりするくらいの焦りが湧き上がり、今度は私の理解が置いてけぼりになる。 私はケンちゃんに対して、大げさなくらいに声を張り上げながら駆け寄り、声をかけた。 「ケンちゃん!?どうしたの?ちょっと言いすぎたかな…ごめんね。」 私が声をかけると、ケンちゃんはまだ赤くなったままのの火照った顔を無理矢理に不器用な笑顔に変えて、私に返答する。 「違う!違う!お姉さんのせいじゃないから!なんかそんなやりとりさっきもやった気がするの気のせいかな…?ははっ…なんで涙がでるのかわかんないけど、なんかお姉さんの言葉聞いた瞬間、すごく懐かしい感じがして、嬉しくて、でもなんだかすごく恥ずかしかったんだ、なんだか、照れ臭いというか、まるで母ちゃんと話してるみたいだったなって…って何言ってんだか!わははは!!!」 そういうとケンちゃんは、とても恥ずかしそうにしながら、その火照ったままの頬をパンパンと数回叩いた。 私はケンちゃんのためにも早く母親を探し見つけ出さないといけない、と改めて強く決心した。それと同時に、この子を手放してはいけない、この子は私が守ってあげないと、守らなければいけない。決して離れないように。そんな気持ちがどこかで芽生えた気もした。 非常に奇妙で、説明のつかない気持ちがあるのだが、しかし確実に少しずつではあるが、私の中で何かが変わってきている気がした。忘れていた感情が、ケンちゃんに向けられている事にも。 しかし、お盆が終わる前にすべてが完結しないといけないのだ。私たちには時間がない。急がなければならないのだ。 繋がれた手と手をぎゅっと握りしめ、私とケンちゃんの二人は、映像の中の人物達が立ち止まって話していた、その場所へと小さな期待と勇気を持って向かって行った。 お豆腐屋さんに到着すると、 店前には背中の曲がった小さなおばあちゃんが椅子に座って、じっと商店街の様子を静かに眺めていた。しかしピクリとも動かないおばあちゃんを見て、段々心配の念が込み上げてくるも、よくよくその姿をじっと凝らすように見てみると、どうやらただ寝ているようだった。起こすか、起こさないかしばらく悩んだが、きっとこのおばあちゃんに話を聞いたら何かがわかる気がすると思い、思い切って声をかけてみようと歩み寄ろうとした途端、 商店街の奥からものすごいスピードで自転車が走って来るのが見えた。それはまっすぐこちらへ突っ込んで来る。何事かと思った矢先、その高速自転車はお豆腐屋さんの目の前で、自転車特有のあのキキーとに耳につんざくブレーキ音を高らかに奏で、慣れた様子で綺麗にピタッと停車した。 「ばあちゃん!いつものまだ残ってるか!?」 どこかの学校の学生であろう、体操ジャージを来た高校生くらいの青年が、額に汗をにじませながら、おばあちゃんに声をかける。 「ん〜〜?あら、ケンちゃんかい?ケンちゃんが来たんか…?」 「ばあちゃん、何回言ったらわかるんだ、俺はカズマだ!カズマ!!母ちゃんに頼まれてんだよ、いつもの寄せ豆腐まだ残ってるか!?あれ人気だからすぐ売れるんだよなぁ、マジで困るぜ。」 一瞬だが、ケンちゃんの顔が険しくなった気がした。が、それを再度確認する間も無く、その背中の曲がったおばあちゃんはまるで、今にも切れかけのスイッチが入ったロボットのように、小さな体をゆっくり起こし、ゆらゆらと店の中へ消えていった。 そして再び青年の元に戻って来るまでにそう時間はかからなかった。そのしわくちゃになった口角を微かに上げ、背中を曲げたまま歩いて来るおばあちゃんの手には、美味しそうなよせ豆腐があった。 青年はその美味しそうなよせ豆腐を見るなり、安心した様子で、ホッと大きく息をもらした。 「そうだよこれこれ!これがないと、うちの母ちゃん不機嫌になるからなぁ…よかったよかった。しかしばあちゃんまたそうやって居眠りしてっと豆腐盗まれちまうぞ。ちゃんとレジ鍵かけてっか?俺心配だよ。」 「ケンちゃんは今日も来なかったなぁ…大好きなお菓子用意しとったのに…何かあったんのかのう。」 見事な会話のキャッチボールであるが、そうおばあちゃんが寂しそうに呟くと青年は凛々しい眉毛を引き上げながら心配そうにこう言った。 「ばあちゃん、その話やめてくれよ、もうずっと前の話だろう?いい加減忘れろって。」 「コハルさんはそりゃあ美人さんでなあ。ケンちゃんといつも遊びに来てくれとったんじゃが、途端に何も言わず来なくなってしまって…寂しいのう。」 「ばあちゃん…だからもう…その二人は来ないだって、もう待ってなくていいんだよ。…いいだろ、俺が代わりに来てんじゃねーか、母ちゃんのパシリだけどな。ったく母ちゃんも心配なら自分でないにくれば良いのによぉ。」 そう青年は、どこか遠くを見透かすような寂しそうな表情を見せるも、もうこのやり取りに随分慣れているのだろう、いつもの調子で巧みに言葉のキャッチボールをチャッチアンドリリースしていると、今度は慌ただしく急いだ様子で、青年よりも少し年上であろう若い女性がこちらに走って来た。 その女性は一瞬こちらを見て、ひどく驚くような顔をした気がしたが、きっと気のせいであろう、それよりもひどく焦った様子ですぐさま青年に話しかける。 「カズマくんいつもごめんね〜!どうしても昼間は店番出来ないから、仕方なくおばあちゃんに頼んでるんだけど、この様じゃもう引退かな…またいつもの話してた?」 「はい、まあ慣れてるんで大丈夫っす。そんじゃ俺、あんま遅いと母ちゃんに怒られるんでそろそろ帰ります。またよろしくお願いします。そんじゃ。」 「ありがとね〜!気をつけて帰るんだよ!お母さんによろしく言っといて!!!」 そうして再び青年は、自転車に乗ってフラフラと片手を振りながら、そそくさと去っていってしまった。 私とケンちゃんは本来、お客であるはずなのだが、その場にいるにもかかわらず、びっくりするほど全く相手にされず、そのまま二人で開いた口を閉じるのを忘れて、完全に話しかけるタイミングを失い立ち尽くしていた。 漫画の中のモブキャラってこんな感じなんだろうなと、目も向けられることのない知らない脇役に対しての同情の念すら湧いてきたのだった。 そんな調子で苦笑いを浮かべていると、商店街の終わりを告げる「蛍の光」が辺りに響き渡り始める。それと同時に、次々とシャッターの閉まる音が響き渡る、次第に賑やかだった商店街がシャッター街に変わってゆく。 遠くでは、すでにひぐらしが鳴いていた。つい先ほどまでは、あんなに愉快に蝉と風鈴が迫力ある合唱を奏でていたのに、ひぐらしの鳴く音色を聞くと、ひどく寂しく、悲しく感じた。ひぐらしが鳴けばあっという間に夜がやってくる。あんなに忙しなかった陽炎も、今では細長い影となり、やがてゆっくりと二人の影もスーと商店街の彼方へ伸びていき、オレンジの彼方へ混ざり合っていく。それはやがて溶けるように消えていった。 周りに続くように、お豆腐屋さんも閉店の準備を始めていた。若い女性がおばあちゃんに優しくゆっくり語りかける。 「ひぐらしが鳴けば、夜まであっという間だからね、さ、おばあちゃん。今日はもう帰ろう。」 「ケンちゃんはまだこんかのう…」 「おばあちゃん…また明日にでも一緒に…待ってみようか。いつかきっと…またきてくれるよ。ほら、シャッター閉めるから中に入って。」 とても寂しそうにその若い女性は、おばあちゃんにまるで昔話を聞かせるように語りかけ、おばあちゃんを店内へと誘導していった。そしておばあちゃんが店内へ戻ったのを確認すると、慣れた様子で今日の終わりを知らせる店のシャッターをガシャんと降ろす。 結局そのままおばあちゃんに話しかけられるタイミングもなく、更には全く相手にされることもなく、一種のお笑いコントのごとく放置状態になってる私たちは、店のシャッターが閉まった後もしばらくその場に立っていた。 取り残された商店街の真ん中で、第一声を発したのはケンちゃんだった。 「…び、びっくりするくらい相手にされなかったね。」 ケンちゃんが蚊の鳴くような声小さな声で呟いく。 真顔でど正論を言うケンちゃんに私はどうやっても耐えられず、ぶふぉっとなんとも情けない声をもらし、思わず笑い出してしまった。それにつられてケンちゃんも耐えず笑い出す。 静かな商店街に二人のなんとも自己主張の激しい笑い声が響き渡る。 そうして、しばらくゲラゲラと笑った後、再びケンちゃんが笑い終え少し疲れた様子で話し出す。 「あーあ、あっという間に夜になっちゃうね…このままここで朝まで笑い続けろってのも無理だし。お姉さん、これからどうする?まだこの商店街で何か分かりそう?ビビッとくる?」 「残念ながら、今は全くビビッと来るものはないね…しょうがない。駄菓子屋さんからかなり歩いてきたけど、今からじゃ何も出来ないし、今日は駄菓子屋さんに戻って、また明日出直そうか。ふんで明日こそはおばあちゃんに話しかけてみよう。いや…でもあの調子じゃ言葉の変化球で殺されそうな気がしてきた…」 「お姉さんって言葉の使い回しが凄い独特だよね…おばあちゃんじゃなくて、後から来たあのお姉さんに聞いてみるのはどう?身内の人みたいだし、お姉さんに話しかけてみようよ。」 「そうだね、そうしようか!でも今日はもうおしまい、また明日ここに戻ってこよう。」 するとケンちゃんは納得のいかない様子で、私にある誘いを持ち出してきた。 「せっかくの夏休みなんだからさ!いつもじゃできない事しようよ!…ふふ僕は悪い子になっちゃうぞぉ。」 上機嫌で謎のステップを披露するケンちゃんを見て、なんとなく嫌な予感はしたが、予感は的中、ケンちゃんがニヤニヤしながら私にこう言った。 「夜の商店街探索しようよ!」 私は、冗談じゃない、もし見つかれば私は不審者になりかねないぞ。なんて思いながら、拒否の返答をしようとケンちゃんの方を見るが、キラキラ瞳を輝かせ、楽しそうなケンちゃんの姿を見ると、この探索を許可する事で、少しでもケンちゃんの楽しかった思い出として永遠に残るならと、私はやや引き気味ではあるものの、その誘いに乗る事にした。 「…全く、子供の発想と発言力には破壊力があるからお姉さんは凄く怖いよ…しかし、夜の探索。中々面白そうだ!よーし、せっかくだから探索してみよっか。私たちの夏休みはまだまだこれからだー!」 「これからだー!!わっはっはっはー!!!」 ケンちゃんが楽しそうに、無邪気な笑顔で笑っている姿を見て、私は気づかれないように小さく温かく微笑んだ。
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